「常に攻めの投球に徹することが出来ました」
「投手陣が結果を残すことが出来たのは、打線の援護が大きかったと思います。あの強力打線ですから、投手は7回までに4点くらいで抑えれば打線がそれ以上、点を入れてくると信じていましたので、精神的に楽だったと思います。だからこそ攻めの投球が出来ました。投手陣は逃げの投球をせず、常に攻めの投球に徹することが出来ました」(齊藤氏)
チームは4月、5月と3位につけ、6月に入ると「マシンガン打線」が火を噴き一気に首位の座に。7月8日からはオールスターを挟んで10連勝(1分け含む)をマークし、首位固めに入った。齊藤氏は、守護神・佐々木の2年ぶりの黒星がこの10連勝を呼び込んだという。
1998年7月7日、大阪ドームでの対阪神戦。横浜の1-0で迎えた9回、マウンドには佐々木が立った。ヒットと四球で2死1、2塁の場面で打席には矢野燿大(現阪神監督)が。佐々木のストレートを捕らえた矢野の打球は前進守備のセンターの頭上を越えていった。2人のランナーが生還し1-2のサヨナラ負け。佐々木の黒星は実に675日ぶりだった。
翌日の8日、対阪神戦で前日(7日)と同じく横浜が1-0でリードした9回、佐々木がマウンドに上がった。1死2塁、1打同点の場面で前日サヨナラ打を放った矢野が打席に立った。矢野の打球は快音を残して三遊間へ。この打球を進藤達哉3塁手がスーパーキャッチし、横浜が勝利した。この日から横浜の快進撃は続き、1分けを挟んで10連勝を記録した。