外岡秀俊「コロナ 21世紀の問い」(2)
「行動変容」から「価値変容」へ

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   政府は、2020年5月6日までの予定だった緊急事態宣言を延長する方針だ。これによって、専門家会議が求める「行動変容」はさらに定着する。だが私たちは、いずれくる新型コロナウイルスの「終息」後、どのような日常に戻れるのだろう。戻るべき「日常」をどのレベルに設定するのか。今のうちに「価値変容」を考えるべきではないだろうか。

  •                              (マンガ:山井教雄)
                                 (マンガ:山井教雄)
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「行動変容」が社会を変える

   最初に対象になった7都府県は1か月間、4月16日に全国に拡大して以降は残りの40道府県も20日間の我慢を求められた。

   その間、「3密」回避の行動制限や、イベント・興行の自粛、美術館や図書館、体育館、公園の閉鎖など、私たちの日常は一変した。大半の学校は休校になり、多くの仕事は自宅でのテレワークに移り、「不要不急」の文化や趣味の活動の多くが日常から削ぎ落とされた。一言でいえば、他者とは「社会的距離」を置き、社会的な「自己隔離」を余儀なくされる日々だろう。

   私たちは、いずれ来る「宣言の終わり」に期待して、ひたすら窮屈な暮らしに耐えているが、この先、宣言期間がさらに長引き、あるいはいったん解除されても再び宣言されるようなことになれば、そうした「行動変容」は社会に定着し、元の暮らしには戻れなくなる可能性がある。

   休校中の遠隔授業にはばらつきがあり、休校が長引くようなら9月に始業するよう制度変更を求める声も出ている。今回の感染拡大によって、制度設計を変える例も予想される。

   そうであれば、ポスト・コロナ時代に持続可能な社会をどう構築するのか、これまでの「価値観」を再考しなくてはならないだろう。

流行病が変える社会

   米誌「スミソニアン・マガジン」は4月の電子版に「過去の流行病はいかに米国の暮らしぶりを変えたか」という論考を載せた。書いたのは、ミドルテネシー州立大でメディア論を教えるキャサリン・フォス教授。近く「悪疫の構築 メディアと集合記憶における流行病」を刊行の予定という。

   それによると、19世紀末に蔓延した結核で、世界の7人に1人が亡くなり、米国でも死因の3位だった。1882年にドイツの医師ロベルト・コッホが結核菌を発見したにもかかわらず、感染防止は人々の常識とはなっていなかった。当時はまだ、汽車に備え付けの共用カップをみんなが使い、公共の場で唾を吐くのが当たり前だった。ニューヨーク市の保健当局は、1890年代に「結核との闘い」という衛生キャンペーンを展開し、カップの共用をやめさせ。各所にタン壺を配して繰り返し清掃した。

   流行病がもたらすのは、習慣や行動様式に留まらない。「病気は永遠に社会を変える」と筆者のフォスは言う。

   こんな時期だからかもしれない。筆者は流行病による社会の明るい側面に目を向ける。

   19世紀の米国では路上は汚物にまみれていた。人々は読み終えた新聞や残飯、果ては寝室便器の中身を窓から道路に棄て、馬車や荷馬車を引く馬は糞尿を路上に垂れ流した。馬が死ぬと腐乱するまでその場に放置された。1880年にはニューヨーク市だけで1万5千頭の遺骸が回収されたという。

   度重なる結核、チフス、コレラの蔓延は衛生環境を大きく変えた。排泄物の処理が組織化され、水道水は濾過装置や塩素消毒で浄化されるようになった。屋内トイレはすぐには普及しなかったが、排水下水のシステムが導入された。1891年に英国のトーマス・フラッパーが考案した水洗トイレは、やがて富裕層から中間層へと普及していく。

   換気の大切さが分かると、ポーチや窓を取りつける家が増え、過密する米東部から環境のいい米西部に向かって移住する人々が増えた。

   インフラだけではない。流行病は利他主義を育むこともあった。1793年に黄熱病が流行した時に、フィラデルフィア市長は衣類や食料、金銭の寄付を呼びかけて病院に送り、両親が病死した子どものために孤児院を建てた。

   アラスカでジフテリアが流行した1925年1月には、人里離れた町に血清を届けるため、厳寒の雪原を犬ぞりがリレーで運び、多くの人命を救った。その犬を讃える像がニューヨークのセントラルパークに建てられ、その後も「アイディタロッド犬ぞりレース」という催しが定着した。

   流行病は人々の意識も変える。戦後にポリオが大流行した時には慈善寄付を募り、のちに「マーチ・オブ・ダイムズ」という名前で知られる新生児支援団体が医療機器などを病院に届けた。さらに筆者は、流行病が公共の議論を活発化させるとして、1721年にボストンで天然痘が流行った時に、予防接種をめぐって激しい論争が起き、植民地最初の新聞の一つが創刊された例をあげる。

   そう、筆者が言いたいのは、おそらく次のことだ。大規模な流行病は、人の行動だけでなく意識を、社会のインフラのみならず、規範をも変え、その後は、それが当たり前のようにみなされる。そして多くは後戻りしない。

   つまり、ふだんは忘れている生と死の境を誰もが突き付けられ、人々は行動変容を余儀なくされ、それは広範な社会の「価値変容」をもたらす可能性が高い。

社会の鏡としてのパンデミック

   ウイルスは人類登場と共に存在する。そう説く人も多い。ペストやコレラ、結核などが繰り返し発生したことを指摘し、いずれ私たちは有効なワクチンを開発し、あるいは集団免疫によってこの災厄を克服できる、という識者もいる。その通りだろう。現在、中国や韓国で活動が再開され、あれだけ感染が猖獗をきわめたイタリアでも制限解除の動きが出ているのを見れば、長いトンネルの先に一筋の光明を見る思いがする。こうして私たちは、繰り返し人類を襲ってきた疫病を、またも克服できるに違いない。

   だが、今回の新型コロナウイルスと、過去の疫病は、同じようなものと考えていいのだろうか。その克服の先に出現する社会は、感染が大流行する前の、あの懐かしい、数か月前には自明と思えた社会と同じ姿なのだろうか。そのことを考えるうえで、参考になるインタビューが、「パンデミックはいかに歴史を変えるか」という表題で、米誌ニューヨーカー(電子版)に3月、公開された。

   同誌がインタビューしたのは、イェール大で歴史・医学史を教えるフランク・M・スノーデン教授。近著に「流行病と社会 黒死病から現在まで」がある。その著書で教授は、流行病は気まぐれに、警告もなく人を襲って苦しめるものではない、と説く。反対に、すべての社会は特有の脆弱性を備えており、その脆弱性を考えるにあたっては社会の構造や生活水準、政治的な優先事項を理解しなくてはいけない、という。

   これはどういうことだろう。自然界に存在するウイルスが、人間関係や社会にどうかかわっているというのだろうか。その問いに対する教授の答えはきわめて明快だ。

「流行病は、人類がいかなる者かを映し出す鏡だ。なぜなら、病原菌は人類が造りだした生態的な地位(niches)を求めて選択的に拡大し、拡散するからだ」

   教授はその例として、今日のコレラや結核が、貧困や不平等が造りだした断層線に沿って広がることを指摘する。誰もが平等に、死に恐怖するが、結果は平等ではない。社会的、経済的に最も弱い人々が数多く犠牲になり、私たちの脆弱性をあらわにする。それが教授の見方といっていいだろう。

   教授はインタビューの別の箇所で、流行病は「個人」に似ているともいう。人はすべて個人であり、誰とも違っている。それは置き換えができず、それぞれの特性や、科学者らがいかに対応するかにかかっている、という。つまり、新型コロナウイルスの拡大には、はっきりと21世紀が刻印されており、私たちもまた、新たな挑戦と対応を迫られている。

寺田寅彦の警告

   このインタビューを読んで私は、寺田寅彦が1934(昭和9)年11月に書いた「天災と国防」の一節を思い出した。

   国際折衝をめぐって、「非常時」という不気味な、しかし曖昧な言葉がはやっていたこの年は、函館大火や北陸の水害、近畿の大風水害などが立て続けに起きた。国際関係をめぐる「非常時」はまだ実証できないが、天変地異の「非常時」は眼前の事実だ。

   そうした前置きに続いて寺田は、災害が多発する日本で忘れられがちな2点を指摘した。

   一つは、「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実」である。頑丈な岩山の洞窟に住んでいた大昔なら、たいていの地震や暴風でも平気だったろうし、天変で破壊されるような造営物もなかった。もう少し進んで小屋に住むようになっても、テントか掘っ立てのようなものなら、地震はかえって安全で、風に飛ばされても復旧はたやすい、という。

   だが文明が進むにつれて人間には自然を征服しようという野心が生じ、重力に逆らい、風圧水力に抗する造営物を作った。自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、檻を破った猛獣の大群のように自然が暴れ出す。「その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである」。寺田はそう警告した。

   二つ目は、「文明の進歩のために生じた対自然関係の著しい変化」である。これは国家あるいは国民の有機的結合が進化し、その内部機構の分化が著しく進展して来たために、

   「その有機系のある一部の損害が系全体に対してはなはだしく有害な影響を及ぼす可能性が多くなり、時には一小部分の傷害が全系統に、致命的となりうる恐れがあるようになった」。寺田はそう警告した。

   寺田はこうして、「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する」傾向があるとして、陸海軍の他にもう一つ「科学的国防の常備軍」を設け、「日常の研究と訓練によって非常時に供えるのが当然ではないか」と言い、「○国や△国よりも強い天然の強敵に対して平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講ずるのもまた現代にふさわしい大和魂の進化の一相ではないか」と結ぶ。

   この文章が書かれたのが5・15事件の2年後、2・26事件の2年前であることを思えば、慎重に言葉を選びながらも寺田の発言は、時勢に斬りこむ「果断なる合理性」だったように思える。

   スノーデン教授のインタビューを読んで寺田の文章を思い出したのは、自然に起因する災厄であっても、そこにはヒューマン・ファクターが加わり、社会の進化によって自らが抱え込む脆弱性が、被害を拡大するという認識で共通しているからだ。地震では、同じエネルギーが放出されても、地形や地盤、地上の構築物によって、まったく違う被害が生じる。天然の脅威であっても、その脅威が社会にもたらす様相は、時代によって、社会構造によって、まったく異なるのだと思う。

   では今回のコロナ禍で、私たちの社会が抱え込んでいた脆弱性とは何だろう。

グローバル、IT、都市過密

   21世紀になってから、世界は2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)、09年の新型インフルエンザ(A/H1N1),12年の中東呼吸器症候群(MERS)という感染症を体験してきた。しかし、これらはいずれも局地的、あるいは重篤化することなく鎮静した。では、今回はいったい、どこが違うのだろうか。

   それは多くの人が指摘するように、幾何級数的に広がり、緊密に相互の社会が結びつくグローバル化とIT化、そして都市過密化が一つの臨界点に達したことと無縁ではないだろう。

   グローバル化は言うまでもない。ヒト、モノ、カネが国境を越えて行き交い、一国一地域の成長が、他のそれと不可逆的に結ばれ、その被害もまた、同じように蒙るかかわりのことだ。2020年の東京夏季五輪に向けて「観光立国」を成長戦略の柱に掲げた日本は、海外、とりわけアジアからの旅行客によるインバウンドの恩恵を受けてきた。日本を訪れた外国人は2013年から7年連続で最多を更新し、19年には3188万人のピークに達した。政府は20年の東京五輪をバネに、4000万人を目標としていた。

   さらに入国規制を緩和して海外からの実習生を増やし、2018年12月には出入国管理法も改正して「特定技能」の在留資格を創設し、事実上の「移民大国」への舵も切った。

   こうしたグローバル化は、もちろん日本だけの施策ではない。今回のコロナウイルスによって、各国の国境は閉じられ、ヒト・モノ・カネの流れは一時的にせよ停止を余儀なくされた。初めは中国、やがて欧州、米国へと感染は急速に拡大し、相互に部品供給を依存するグローバル企業は、製造の中止や減産に追い込まれた。感染の拡大地が時間差を置いて地球を移動したため、一部で収束しても他地域の活動が麻痺し、影響は長期に及ぶ見通しだ。歯車が逆回転すれば、それまで受けてきた恩恵は災厄に、成長はショックに転化することを示したかたちだ。

   IT化については相反する二つの側面がある。一つは、IT化の進展によって、誰もが、どこでもネットにつながる環境が出現し、それまでのパッケージ商品が売れなくなり、あるいは収益構造が変化して、音楽やスポーツ、演劇など、大勢の人々が集まるイベント事業に比重を移してきたことだ。

   「今、ここで、みんなが集まる」という臨場体験が、これまで以上に求められ、また収益をあげることになった。いわゆる「モノ」から「コト」への消費者ニーズの変化である。この動きもまた、行動制限や「社会的距離」を強いる新型コロナウイルスの出現によって、逆流し、緊縮することになった。

   IT化をめぐる第二の現象は、IT技術やSNSの普及によって、社会の反応や対応が大きく変わったという現実だ。台湾政府は、マスクの在り処をリアルタイムで示し、混乱を防いだ。中国政府は、人々の動向を把握し、感染の経路を追跡するネットワークを構築した。あるいは、今回の感染防止の一環として急速に拡大したテレワークやネット講義によって、多くの人々は、自宅で待機しながら仕事や学業を続け、自粛と経済・社会活動を両立させようとしている。これもまた、IT化によって初めて実現した現象だろう。

   こうしてITやAIの進化によって感染防止や経済活動の維持に効果をあげた一方、SNSの普及によって、デマや風評、偽情報も驚くほどの勢いで拡散され、政府や既成メディアによる介入があるまで、それが人々を惑わし、不安に陥れるというイタチごっこが続いている。

   都市の過密化について、国連サミットが2015年に採択した「持続可能な開発目標(SDGs)は、第11の目標に「住み続けられるまちづくり」を掲げた。それによれば、今は人口の半数にあたる35億人が都市に暮らし、地球の陸地の3%に過ぎない都市がエネルギーの6~8割を消費し、炭素排出量の75%を占めている。この都市人口は、SDGsが行動指針の目標とする2030年には50億人になると予測されている。

   日本では三大都市圏への人口集中が高止まりしたままだ。総務省が昨年まとめた2018年10月1日現在の人口推計によれば、東京圏の人口が約3658万人、名古屋圏が約1132万人、大阪圏が約1822万人。三大都市圏の合計は約6613万人で、全人口約1億2644万人の過半数を占める。

   総務省統計局の2018年1月1日時点の人口移動報告によると、三大都市圏では約13万人の転入超過だったが、東京圏では24年連続の転入超過だった一方、名古屋圏、大阪圏では7年連続の転出超過となった。まさに「東京一極集中」が続いていることになる。

   21世紀になって、世界は年々都市人口を増やし、過密化を進め、それを経済成長の原動力にしてきた。裏を返していえば、それは、ウイルス感染に対する脆弱性という社会リスクを高め続けてきたともいえるだろう。

価値変容に向けて

   ここにあげた三つの要因は、直接、今回のコロナ禍に結びつくものではない。だが、感染拡大をここまで深刻にした「社会的培養器」とは言えるかもしれない。世界の各地をネットワークで結ぶ高度資本主義と消費主義は、グローバル化をその成長エンジンとし、ITをツールとして加速し続け、都市に資本やサービス、労働力を集積してきた。「もっと成長を」「もっと消費を」という欲求はやむところがなかった。

   だが、私たちが科学や医療の高度化によって、すでに克服したと信じ込んでいたコロナ禍は、パンデミックとなり、今も暴風は吹き荒れている。

   行き過ぎたグローバル化は、2016年に米国でのトランプ政権誕生、英国の国民投票によるEU離脱という形で、すでにその矛盾を顕在化しつつあった。戦後に根づいた国際協調路線は、「自国第一主義」によって揺らぎ、欧米では内向きの排外主義を唱えるポピュリズムが台頭しつつあった。

   ではこのコロナ禍は、そうした分断をさらに強めるのか、あるいは新たな国際協調を築くきっかけになるのか。私たちはまさにその瀬戸際に立たされている。

   前に紹介したインタビューで、スノーデン教授は、どのような価値観であれば、この災厄に対処できるのかを問われ、発火源の中国を訪れてジュネーブの本部に戻ったWHOのブルース・アイルワード事務局長補佐官の言葉を引用した。

「今、あるいは将来必要なことは、私たちのマインド・セット(価値観や思考様式)を根底から変えることだ」

   スノーデン教授はさらに言う。

「我々は同じ一つの種として共に働き、互いを助け合い、我々すべての健康にとって、社会の弱者の健康が決定的な要因であることを理解しなくてはならない。もしそうしないなら、我々は決して、人類に対するこの破壊的な挑戦に立ち向かうことはできない」

至言と思う。

ジャーナリスト 外岡秀俊


●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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