外岡秀俊「コロナ 21世紀の問い」(2)
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寺田寅彦の警告

   このインタビューを読んで私は、寺田寅彦が1934(昭和9)年11月に書いた「天災と国防」の一節を思い出した。

   国際折衝をめぐって、「非常時」という不気味な、しかし曖昧な言葉がはやっていたこの年は、函館大火や北陸の水害、近畿の大風水害などが立て続けに起きた。国際関係をめぐる「非常時」はまだ実証できないが、天変地異の「非常時」は眼前の事実だ。

   そうした前置きに続いて寺田は、災害が多発する日本で忘れられがちな2点を指摘した。

   一つは、「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実」である。頑丈な岩山の洞窟に住んでいた大昔なら、たいていの地震や暴風でも平気だったろうし、天変で破壊されるような造営物もなかった。もう少し進んで小屋に住むようになっても、テントか掘っ立てのようなものなら、地震はかえって安全で、風に飛ばされても復旧はたやすい、という。

   だが文明が進むにつれて人間には自然を征服しようという野心が生じ、重力に逆らい、風圧水力に抗する造営物を作った。自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、檻を破った猛獣の大群のように自然が暴れ出す。「その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである」。寺田はそう警告した。

   二つ目は、「文明の進歩のために生じた対自然関係の著しい変化」である。これは国家あるいは国民の有機的結合が進化し、その内部機構の分化が著しく進展して来たために、

   「その有機系のある一部の損害が系全体に対してはなはだしく有害な影響を及ぼす可能性が多くなり、時には一小部分の傷害が全系統に、致命的となりうる恐れがあるようになった」。寺田はそう警告した。

   寺田はこうして、「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する」傾向があるとして、陸海軍の他にもう一つ「科学的国防の常備軍」を設け、「日常の研究と訓練によって非常時に供えるのが当然ではないか」と言い、「○国や△国よりも強い天然の強敵に対して平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講ずるのもまた現代にふさわしい大和魂の進化の一相ではないか」と結ぶ。

   この文章が書かれたのが5・15事件の2年後、2・26事件の2年前であることを思えば、慎重に言葉を選びながらも寺田の発言は、時勢に斬りこむ「果断なる合理性」だったように思える。

   スノーデン教授のインタビューを読んで寺田の文章を思い出したのは、自然に起因する災厄であっても、そこにはヒューマン・ファクターが加わり、社会の進化によって自らが抱え込む脆弱性が、被害を拡大するという認識で共通しているからだ。地震では、同じエネルギーが放出されても、地形や地盤、地上の構築物によって、まったく違う被害が生じる。天然の脅威であっても、その脅威が社会にもたらす様相は、時代によって、社会構造によって、まったく異なるのだと思う。

   では今回のコロナ禍で、私たちの社会が抱え込んでいた脆弱性とは何だろう。

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