2009年11月29日、さいたまスーパーアリーナは2万を超えるファンで埋め尽くされた。
ボクシングのWBC世界フライ級タイトルマッチ。王者・内藤大助に挑んだのは、元WBA世界ライトフライ級王者・亀田興毅だ。6度目の防衛を目指す王者、世界2階級制覇を狙う挑戦者。日本人同士による世界戦は、内藤と亀田家の「因縁」もあり世間から大きな注目を集めた。
4回まで亀田優位も内藤陣営が発奮した理由は...
試合開始のゴングが鳴らされると、内藤が積極的に前に出て左右フックで仕掛けた。これに対し亀田は距離を取って左のカウンターを狙う戦法を取った。やや強引にフックを当てにいく内藤を亀田が足を使ってさばく。1回終了後には亀田が両腕を高々と突き上げてアピール。2回2分過ぎには、亀田の左ショートが内藤の顔面を捕らえ、内藤は鼻から出血した。両者のスタイルが変わらぬまま3回、4回と過ぎていった。
4回終了時に発表された4回までの採点は1人のジャッジが39-37で亀田を支持。残る2人は38-38のドローだった。場内アナウンスで採点を聞いた亀田は首を傾げた。「全部のラウンドを取ってるはずだろ」。亀田のそんな声が聞こえてきそうな表情だった。一方、この採点を聞いた王者サイドは、4回までのファイトスタイルが正しかったと確信した様子で、内藤に「打ち合ってこい」と指示した。
5回に入ると、亀田の距離に変化が見られた。ガードを高く上げ、内藤との距離を縮めた。そこにはより明確にポイントを取るための意志が感じられた。対する内藤は公開採点が後押ししたようにエンジンがかかり、荒々しい攻撃ながらも手数はさらに増えていった。中盤は亀田をコーナーに詰めて連打で攻め込むシーンがあったが、一方で8回あたりから鼻が大きくはれ上がり、たびたび出血するなど見た目の印象は決して良くはなかった。
テレビの平均視聴率は驚異の43.1%
4回まで1-0で亀田優勢だった採点は、8回終了時には3人のジャッジ全てが亀田を支持。77-75が2人、残る1人は78-74の4ポイント差を付けた。この時点で3人のジャッジの「意志」がはっきりと分かる。この日の全てのジャッジは、内藤のアグレッシブ、手数よりも亀田の的確なパンチを評価した。8回終了時点で内藤が判定で勝利するには残り4ラウンドを全て取らなければならなかった。
3度目の防衛戦では、持ち前の強打で10回に逆転KO勝利を飾った内藤だったが、この日は9回、10回とスピードが上がらず、ラフなパンチが目立つようになった。一方の亀田はカウンター戦法が冴え、ポイントを積み重ねていった。勝負は判定までもつれ込み、結果は3-0で亀田の勝利。内藤は6度目の防衛に失敗し、亀田はライトフライ級に続いて世界2階級制覇を達成した。
この一戦がどれほど世間の注目を集めたかは、テレビ視聴率の数字が如実に物語っている。関東地区での平均視聴率は43.1%(ビデオリサーチ調べ)で、瞬間最高視聴率は50%を超えた。ビデオリサーチがオンライン調査を開始した1977年9月26日以降、ボクシングの試合では78年のWBA世界ジュニアフライ級タイトル戦の具志堅用高VSハイメ・リオスの43.2%(ビデオリサーチ調べ)に次ぐ2番目の数字となる。
2007年の大毅戦が伏線に...
内藤VS亀田戦がここまで盛り上がったのは、内藤と亀田家との「因縁」が伏線にある。2007年10月に亀田大毅が王者・内藤に挑戦。試合は3-0で内藤が圧勝した。この試合で大毅のセコンドから反則行為を促すような発言があり、大毅自身も内藤を抱え上げて投げ飛ばすなどの反則をした。後日、亀田家から謝罪があったといい、内藤は和解したことを明かしたが、この「事件」はワイドショーなどで取り上げられ世間を賑わせた。
内藤は大毅との初防衛戦後、人気王者として王座を5度防衛。興毅に敗れた半年後の2010年5月に再起戦を行い、KO勝利を飾ったものの、この試合を最後に引退した。一方の興毅は、10年3月に暫定王者ポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)と王座統一戦に臨むも判定負け。その後、階級をバンタム級に上げてWBA世界バンタム級王座を獲得し、世界3階級制覇を成し遂げた。