日本プロ野球の長い歴史の中で、これまで数々の外国人選手が来日した。歴代の最強助っ人を巡る意見はそれぞれあるだろう。
J-CASTニュース編集部は、横浜(大洋・ベイスターズ)一筋17年、投手として活躍した「ヒゲの齊藤」こと齊藤明雄氏を取材。齊藤氏が過去に対戦した他球団の外国人選手、チームメイトだった外国人選手の中から「最強助っ人」を選出してもらった。
「なんといっても勝負所で強さを発揮しました」
齊藤氏は1976年のドラフトで大洋ホエールズから1位で指名されプロ入り。ルーキーイヤーの77年は8勝をマークし、新人王に輝いた。17年間の選手生活で先発とリリーフをこなし、通算128勝133セーブの偉業を達成。現役引退後は横浜ベイスターズ、ロッテで投手コーチを務め、現在は野球評論家として活躍。横浜ファンからは「ヒゲの齊藤」の愛称で親しまれている。
現役、コーチ時代を含めると20年以上、横浜に携わってきた齊藤氏。その間、多くの外国人選手が横浜でプレーしたが、齊藤氏が最も優れていた選手として挙げたのがロバート・ローズ(米国)だ。
「横浜にはパチョレックやポンセなど優秀な外国人選手がいましたが、最強といえばローズでしょう。ローズは数字も残しましたし、なんといっても勝負所で強さを発揮しました。ですから印象も強く残っています」(齊藤氏)
「日本語は最後まで話すことが...」
ローズは1993年に来日し、「マシンガン打線」の主軸を担った。93年に打点王に輝き、99年は首位打者、打点王、最多安打の「3冠」を達成。守備では二塁手としてゴールデングラブ賞を獲得している。齊藤氏とは93年の1年間、チームメイトとしてプレーし、その後は選手とコーチという立場で関りがあった。
「キャンプで初めてローズのバッティングを見た時は、大きなホームランを打つタイプではないなと思いました。ただ、ピッチャーの立場からみると、ローズは非常に嫌なタイプです。速球に強いタイプではなかったが、ボールをよく見る選手なので、ピッチャーとしては1、2球までが勝負。追い込んでも次に投げる球がないという状況になりかねませんから」(齊藤氏)
また、齊藤氏はローズのプレーだけではなく、野球に取り組み姿勢を高く評価する。
「自分のやるべきことをしっかりとやるタイプでした。性格はおとなしく、野球に真摯に向き合っていました。外国人選手の中には、日本の野球を甘くみていた選手もいましたが、ローズにはそれがありませんでした。だからこそ大きなケガをしなかったと思います。ただ、あれだけ真面目に野球に取り組んでいたのに、日本語は最後まで話すことが出来ませんでしたね」(齊藤氏)
威圧感ないのに...「最強」はやっぱり
次は齊藤氏が現役時代に対戦した外国人選手の中で、最も優れた打者を選出してもらった。齊藤氏は一切、迷うことなく元阪神のランディ・バース(米国)を選出した。
「誰に聞いてもバースだと思います。私の印象では、非常に頭の良い選手でした。各球団のピッチャーの配球を読んでいたと思います。不思議と威圧感はありませんでした。打席にスーッと入ってくる感じでしたね。ですので、初球から打ってくるかどうか分からず、結局、ボールから入ってしまうこともありました」(齊藤氏)
バースは6年間、阪神に在籍し2度の三冠王に輝き、通算202本塁打を放った伝説の助っ人。齊藤氏は現役時代、バースとの対戦は多くはなかったが、投球には細心の注意を払ったという。
バースは打席に入ると必ず新しいボールを...
「コースに逆らわずにあれだけ広角にホームランを打てるバッターはそういない。バースに対してはボールの高低、コースに神経を使いました。シンカーでアウトコースをつき、引っ掛けさせるイメージで投げてもうまく拾われてしまう。目が良く、フォークも簡単に空振りしてくれませんでした。バットコントロールが良く、点ではなく線で打っていましたね」(齊藤氏)
齊藤氏がバースとの対戦で最も印象に残っていることを教えてくれた。
「昔は今と違って打者を打ち取っても新しいボールに代えることはありませんでした。バースはそれを嫌いました。バースは打席に入ると、必ず新しいボールに代えるよう要求してきました。昔のボールは、強い衝撃を受けると微妙に形が変化することがありました。そうすると、同じ球を投げても変化のしかたが微妙に違ってきます。おそらくバースはそれが嫌だったのでしょう。そういうところからも他の選手とは違いましたね」(齊藤氏)