「日本語は最後まで話すことが...」
ローズは1993年に来日し、「マシンガン打線」の主軸を担った。93年に打点王に輝き、99年は首位打者、打点王、最多安打の「3冠」を達成。守備では二塁手としてゴールデングラブ賞を獲得している。齊藤氏とは93年の1年間、チームメイトとしてプレーし、その後は選手とコーチという立場で関りがあった。
「キャンプで初めてローズのバッティングを見た時は、大きなホームランを打つタイプではないなと思いました。ただ、ピッチャーの立場からみると、ローズは非常に嫌なタイプです。速球に強いタイプではなかったが、ボールをよく見る選手なので、ピッチャーとしては1、2球までが勝負。追い込んでも次に投げる球がないという状況になりかねませんから」(齊藤氏)
また、齊藤氏はローズのプレーだけではなく、野球に取り組み姿勢を高く評価する。
「自分のやるべきことをしっかりとやるタイプでした。性格はおとなしく、野球に真摯に向き合っていました。外国人選手の中には、日本の野球を甘くみていた選手もいましたが、ローズにはそれがありませんでした。だからこそ大きなケガをしなかったと思います。ただ、あれだけ真面目に野球に取り組んでいたのに、日本語は最後まで話すことが出来ませんでしたね」(齊藤氏)