ニッポン放送から女子プロレス、異色の転身 54歳の元ラジオマンは「第二の人生」を選んだ

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   新たな職場は道場の階上にある。インタビューの場所に指定された事務所に入ると、三島通義氏(54)が温かい笑顔で迎えてくれた。

   差し出された真新しい名刺に役職はない。「有限会社ネオプラス」アイスリボン事業部・三島通義。これが三島氏の選んだ第二の人生の「肩書」である。

  • ニッポン放送から女子プロレス界に転身した三島氏(右)と藤本さん
    ニッポン放送から女子プロレス界に転身した三島氏(右)と藤本さん
  • ニッポン放送から女子プロレス界に転身した三島氏(右)と藤本さん

看板番組「オールナイトニッポン」のディレクターも

   三島氏はこの春、大手ラジオ局のニッポン放送を早期退職して、女子プロレス団体「アイスリボン」に再就職した。退職に合わせて2020年1月1日付けで役職が外れ、退職時の肩書は「コンテンツビジネス局メディアプロデュース部担当副部長」だった。営業の売り上げ、番組やCMの管理を行う部署で、部下を統轄する立場にあったという。

   1988年4月にニッポン放送に入社した三島氏は、営業部を経て編成局報道部の記者、報道番組のディレクターを務め、警視庁担当時代はオウム真理教事件など様々な事件を取材してきた。それから秘書室、イベント部、制作部などを歴任し、ディレクターとして人気番組「オールナイトニッポン」にも携わった。

   ラジオマンとして輝かしい職歴を残し、順風満帆な人生を歩んできたと思える54歳に、何が転職を決意させたのか。三島氏は退職から再就職までの経緯を次のように語った。

「私は常々、40代後半から50代というのは、今まで培ってきた経験と知識と自信を持ってサラリーマン生活の最後に向かって自分も働き、後輩を指導し、そこで新しく直面することを経験に基づいて対応していくものだと思っておりました。自分はそうでありたいと思っていました。ところが、まったく知識も経験もない部署に異動になり、自分の思惑とは全く異なりました。いざ仕事をしてみると、自分に知識や経験値がない。何よりも自分の判断に自信が持てない。そうなると周りに迷惑をかけますし、定年まであと数年と考えた時に、人生を一度リセットしたいと思いました」

プライベートではリングアナの経験も

   三島氏とプロレスの出会いは、45年前にさかのぼる。小学4年生の時にテレビで初めてジャイアント馬場の試合を見た時、三島少年の全身に衝撃が走ったという。以来、プロレスにはまり、ニッポン放送の社員時代は、幸運にも番組の企画やイベント企画などでプロレス界と関わることがあり、プライベートではプロレスの興行でリングアナを務めた経験もある。

   ニッポン放送を退職するにあたり、具体的な将来設計があったわけではない。再就職先すら決まっていなかった。三島氏は当時を「無謀だった」と振り返る。

「何の根拠もない自信を持っておりましたが、やはり不安になるわけです。次にどんな仕事をやろうかと。私は独身なので何とかなるかなと思いながらも、とりあえず食べていかなくてなりませんから。先のことを何も考えずに退職することを決めてしまい、今思えばだいぶ無謀だったと思います」

高祖父は元警視総監、曾祖父は元日銀総裁の旧華族の家柄

   三島氏とアイスリボンを結びつけたのは、1本のメールだった。ニッポン放送時代から面識のあったアイスリボンの看板選手で、取締役選手代表の藤本つかささんからある日、メールが届いた。共通の知人の飲食店が閉店するという内容だった。三島氏はそこで、藤本さんにニッポン放送を退職することを告げたという。

「藤本さんに実は会社をやめることになったんだと話しました。プロレスが大好きだったので、どこかプロレス業界で人手が足りないところがあったら教えてくれないか、と頼みました。そうしたら社長に話をしていただき、その後はとんとん拍子で話しが進み、アイスリボンにお世話になることになりました。本当にツイていたと思っています」

   大手ラジオ局から女子プロレスの世界に転身を遂げた異色の54歳は、元警視総監の三島通庸氏を高祖父に持つ旧華族の家柄に育ち、元日銀総裁の三島弥太郎氏は曾祖父である。幼稚園から大学まで学習院に通い、同級生には秋篠宮さま、狂言方和泉流能楽師の九世野村万蔵氏がいる。

「家柄のことはよく言われますが、祖父は輸入業を営み、父は自動車会社のサラリーマンでしたし、ごく一般的な家庭でした。学校は私立に通わせていただきましたが、特段、贅沢したとか、優雅な生活を送ったわけではありません。毎週土曜の夜は家族で『8時だョ!全員集合』を見て過ごすような、普通の家庭でした」(三島氏)

歩合給の選手の生活は圧迫されつつ

   4月1日からアイスリボンの職員として事務所に通う三島氏の最初の仕事は、中止になった興行のチケットの払い戻し作業だった。新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、多くの格闘技団体がそうであるように、アイスリボンも予定していた興行の延期、中止が続いているという。3月28日からのすべての興行が延期、中止に追いやられている。

   現在、三島氏の上司でもある藤本さんは、「うちの団体は今までメディア戦略に対して受け身の状態でしたので、三島さんには、メディア戦略的なことをやっていただくつもりでした。それが、今は新型コロナウイルスの影響で興行が出来ない状況にあります。ですので、三島さんには本来の仕事をやっていただく機会がありません」と打ち明ける。

   アイスリボンは女子プロレス団体の老舗であり、月に7大会から8大会を開催し、地方巡業など全国展開している。現在、団体には18人の選手が所属しており、固定給の選手もいれば、試合ごとにファイトマネーが支給される歩合給の選手がいる。興行が延期、中止となるなか、歩合給の選手の生活は圧迫されつつあるという。

   会社の経営者的立場にいる藤本さんは「3月28日からずっと延期が続き、会社の収入はグッズの通信販売に頼っている状態です。歩合制の選手は試合そのものがなくなっているので厳しい状況にあります。これがあと1カ月続くとなると、新たな収益方法を考えなくてはなりません」と頭を悩ませている。

「この子たちのために何が出来るのかと...」

   三島氏は「一番怖いのは、プロレスを見る習慣のあったお客様が、見ないことに慣れてしまうこと。長期的にみると非常に怖い。試合を見ないことが数カ月続くとなると本当に怖いです。我々の手で何とか発信したいと思っています。ファンの皆様、忘れないで下さいと。発信し続けたいです」と訴える。

   インタビューの最中、階下から選手がマットに叩きつけられる音、選手の気合の入った悲鳴にも似た声が聞こえてきた。新型コロナウイルスの感染拡大により先が見えないなか、選手は来るべき日に備えて日々、体を鍛えている。

「事務作業をしながら一生懸命に声を出して練習をしている選手の音だけが聞こえてくるんです。この子たちのために何が出来るのかと、いつも考えています。プロレス団体にはそれぞれスペシャリストがいますが、流れの違うところから入ったがゆえに持っている経験値と人脈があると思います。この年になったら自分の経験と知識と自信を持って仕事がしたいです」(三島氏)

   メディア戦略を担う54歳の新人は、試合のポスターを抱えて営業の日々が続く。

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