ニッポン放送から女子プロレス、異色の転身 54歳の元ラジオマンは「第二の人生」を選んだ

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高祖父は元警視総監、曾祖父は元日銀総裁の旧華族の家柄

   三島氏とアイスリボンを結びつけたのは、1本のメールだった。ニッポン放送時代から面識のあったアイスリボンの看板選手で、取締役選手代表の藤本つかささんからある日、メールが届いた。共通の知人の飲食店が閉店するという内容だった。三島氏はそこで、藤本さんにニッポン放送を退職することを告げたという。

「藤本さんに実は会社をやめることになったんだと話しました。プロレスが大好きだったので、どこかプロレス業界で人手が足りないところがあったら教えてくれないか、と頼みました。そうしたら社長に話をしていただき、その後はとんとん拍子で話しが進み、アイスリボンにお世話になることになりました。本当にツイていたと思っています」

   大手ラジオ局から女子プロレスの世界に転身を遂げた異色の54歳は、元警視総監の三島通庸氏を高祖父に持つ旧華族の家柄に育ち、元日銀総裁の三島弥太郎氏は曾祖父である。幼稚園から大学まで学習院に通い、同級生には秋篠宮さま、狂言方和泉流能楽師の九世野村万蔵氏がいる。

「家柄のことはよく言われますが、祖父は輸入業を営み、父は自動車会社のサラリーマンでしたし、ごく一般的な家庭でした。学校は私立に通わせていただきましたが、特段、贅沢したとか、優雅な生活を送ったわけではありません。毎週土曜の夜は家族で『8時だョ!全員集合』を見て過ごすような、普通の家庭でした」(三島氏)
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