2020年4月7日に日本では東京など7都府県に緊急事態宣言が出た。その翌日の8日、中国の武漢は76日間の都市閉鎖(ロックダウン)が解除され、自動車が市外に出られるようになり、高速鉄道(新幹線)も武漢駅で止まるようになり、乗客が乗り降りできるようになった。
日本の緊急事態宣言は都市閉鎖とは違うが、武漢の76日間の都市閉鎖によって、武漢以外の中国社会は大きく変化した。感染の拡大は収まったとされる首都・北京では、緊急事態宣言の東京に比べても新型コロナウイルスに対する厳戒態勢が続いているのだ。
武漢の高速道路はシャケの遡上状態
4月7日23時半から多くの中国市民はテレビに釘づけになっていた。8日零時から武漢の高速道路が一般車両も通行できるようになるからだ。零時になると、武漢から市外に出る高速道路のゲートが上がり、車が河口から遡上するシャケのように群がって武漢以外の地方へ流れていった。
武漢市の真ん中を流れる長江の上で、突然、巨大な文字が光る。
「武漢、加油(がんばれ)」
「武漢、謝謝(ありがとう)」
両岸のビルも一斉にネオンがつけられ、晴れやかな気分の武漢に戻った。
深圳の企業が1000機のドローンを長江の上を飛ばし、時には文字、時には武漢のシンボルである黄鶴楼などの形にして市民を喜ばせた。
76日間、武漢では、5万7人が新型コロナ肺炎に感染し、そのうち2574人が死亡するという巨大な犠牲を払った。このほかに、どのぐらいの人が春節の帰省からの2か月あまり、自宅や勤務先に帰れなかったか、また、どのぐらいの旅行者、出張者が武漢で足を止められ、最後に金も尽き、泊まるホテルもなく、どこかのビルの下で寒さをしのいだのかは、はかり知れない。ロックダウンから解放される喜びはテレビで見た人が体感できるものではない。
ただ、武漢からの出入りは完全に自由になったわけではない。8日以降、14日間、新規患者が出ていない団地の住人は、身分証明書のIDと携帯電話番号を入力すれば、WeChatかアリペイのアプリで自動的にグリーンコードの健康証明書がスマホに発行されるようになった。これがあれば、武漢以外のところには出られる。
しかし、まだ14日の感染の可能性があって隔離が終わっていない人は、黄色のコードの健康証明書しかもらえず、武漢からは出られない。新型肺炎の患者は赤いコードとなっている。
このように、武漢という巨大な犠牲をはらって新型コロナウイルスはその他の省などに飛び火せず、全中国の安全が守られた。
団地の中に入れない宅急便
一方、武漢以外の都市では閉鎖などは宣言していないが、事実上の緊急事態宣言状態となった。
1月25日の春節の時点では、北京はまだ普通の暮らしが続いていたが、団地は出入り口を一つだけにし、農村では壁のないところも急遽柵で囲み、出入り口を一つに絞った。
その後、団地の出入りに証明書の提示が必要になり、さらに体温を測るようになり、宅急便もフードデリバリーも団地に入ってはいけなくなった。一時的な措置だろうと思っていたが、4月8日に武漢の都市閉鎖が解かれても、北京では何も規制を緩和していない。
通勤では公共交通機関が使え、マイカーも市内のどこにも行けるが、勤め先に入るには体温チェックがあり、勤め先以外のビルに入るには事前申請が必要だ。
海外に出るのは自由だが、外国からの入国者は全員14日間、指定のホテルで自費で隔離される。これは海外だけでなく、中国の地方から北京の自宅に戻る人も14日間隔離される。春節期間中の営業停止のレストランなども営業を再開していない。
北京のすべての団地の外には、朝10時ごろとなると、宅急便の三輪車がずらりと並ぶ。午後3時ごろからまたもう一回出てくる。団地に入れてもらえないため、三輪車の若い男性は宅急便などを下ろして、団地内の住民に電話をかけ、取りに来てもらう。
客の許可を得て、団地が用意した棚に荷物を置く場合もあるが、紛失の恐れがあり、多くの宅急便企業はなかなかそのような方式を取らない。
店内での営業ができない料理店は、料理だけ作り、デリバリーを専門の業者にやってもらう。そのデリバリーの業者は、ほとんど電気オートバイで配達しているが「、テレワークが進んだことで、四六時中の注文が入って忙しくなり、運転手たちはいつも眠そうな顔をしている。
病院では現金払いも厳禁
筆者は常備薬の糖尿病の薬を4月8日、中関村にある病院へもらいに行ったが、出入り口ではいつもより厳しくチェックされた。体温を測ってから質問された。
「いままでの14日間に北京から出たことがありますか」
「海外へは出ていませんか」
携帯電話の番号、身分証明書の番号、問診の事前予約の有無、問診の担当医などを全部調べてられてからやっと病院の中に入れた。
医者は全員個室におり、いつもの助手、看護婦はおらず、机から2メートル離れたところに小さな腰かけがあり、座ってからマスクをしたまま問診が始まる。医者の声は小さい。
隣では「もう少し大きな声でお話しいただけますか」と言っているのが聞こえ、老人が何度も医者の話を聞き取れず、問診がうまくいっていないようだった。看護婦がやってきて2メートルではなく1メートル先で大きな声で医者の話を繰り返して、その老人はやっとわかったようだ。
筆者は大きな声で名前を報告し、ほしい薬を言うと、「あなた、声を小さくしなさい」と若い医者に注意された。
また、病院では現金の使用は厳禁だ。現金を通して感染する可能性を疑っているからだ。携帯電話を持たない50歳か60歳ぐらいの人は、現金を看護婦に渡して、看護婦の携帯電話から費用を支払う徹底ぶりだ。
武漢のロックダウンは終わったが、北京はこれからも緊急事態が続くだろう。報じられている緊急事態宣言下の東京を始めとする日本の状況は、北京に比べると、まだ生ぬるいと感じるのは筆者だけだろうか。
(在北京ジャーナリスト 陳言)