自分たちが変化し、めげずに生きていく
東京五輪・パラリンピックで釜石市は、オーストラリアの「復興『ありがとう』ホストタウン」を務める。この縁も、ラグビーから生まれた。震災時、地元チーム・釜石シーウェイブスでプレーしていた元豪州代表のスコット・ファーディー選手が、母国大使館から帰国を促されても釜石にとどまり、復旧活動に尽力した。そこから日豪の子どもたちの交流、ラグビーチームの招へいといったプログラムが、五輪開催決定を契機に組まれた。昨年オーストラリアで大規模な森林火災が長期間続いた際は、市を挙げて義援金を集め、現地に送った。
だが新型コロナウイルスの影響で、東京五輪は1年程度の延期が決まった。ホストタウン事業でも、今後実施予定だった取り組みは再検討を迫られる。
震災で街が壊滅した釜石。何年もかけて街の再興に努めた市民は、ラグビーW杯で歓喜にわいたが、台風でまたもつらい目にあった。そして今度は、全世界で広がる感染症――。今は日本全体が重苦しい雰囲気に包まれている。
岩崎さんに聞いてみた。「困難のたび、どうやって立ち上がってきたのですか」。すると、「釜石の歴史を振り返ると、大変なことはあるけれど、前を向いて努力すれば良いことがある。そのように思えるのです」と話し、こう続けた。
「自然災害が日本全国で起きる時代になっています。まさに『ワンチーム』として、釜石がみんなでまとまってきた生き方そのものが、多くの災害や、今の新型コロナウイルスのような苦難を乗り切るヒントになればと願います。落胆せず、時代や状況を受け入れながらも自分たちが変化し、めげずに生きていく。私たちのそんな姿を示せればと思います」
(この連載おわり)
(J-CASTニュース 荻 仁)