岩手県釜石市は2019年、ラグビーワールドカップに沸いた。東日本大震災で大きな被害を受けた街は開催都市として、9月25日にフィジー―ウルグアイ戦を実現させた。新スタジアムに大勢のファンを集め、震災時に支援の手を差し伸べてくれた国内外の人たちに感謝を伝えるという市民の願いはかなえられた。
ところが10月13日に予定されていたもう1試合は、台風19号により街が被災し、中止。何度も打ちのめされ、それでも人々は前を向く。相次ぐ自然災害、新型コロナウイルスに襲われている日本全体が、釜石から何か気付きを得られるかもしれない。
「目標があるのはいいこと」
「振り返ると、私たちは特別な空間にいたんですね」
「鵜住居(うのすまい)復興スタジアム」から近い旅館「宝来館」の女将・岩崎昭子さんは笑顔を見せた。
岩崎さんには6年前に取材した。津波で大きな被害を出し、当時はようやくがれきが片付いて整地が行われていた鵜住居地区。津波にのまれかけた経験を持つ岩崎さんは、被災体験を積極的に発信すると同時に、地区再建にかかわってきた。
釜石がW杯開催都市に決定した後、地元ではさまざまな意見があった。「ラグビーより街の復興が先」との声が出た。ただ、誘致を進めた行政は、モノだけでなく「心の復興」を重視した。W杯という一つの目標に向かって進めば、市民の間で前向きな気持ちが生まれるというのだ。「ラグビーワールドカップ2019釜石開催支援連絡会」を立ち上げ、被災者が住む仮設住宅を一軒ずつ回って意見交換した。
岩崎さんは「目標があるのはいいことだと思います」と話す。スタジアムが完成した頃から「W杯熱」が徐々に高まり、市民は試合開催に向けて何かしらの形で携わることで「私にもできることがあった」と喜んだ。一大イベントの成功を市民の手で成し遂げたことは大きかったと、岩崎さんは考える。
W杯のとらえ方が変わった人もいる。土橋詩歩さんは震災当時、自宅が鵜住居にあった。家族は無事だったが、早い段階で移転を余儀なくされた。W杯誘致が決まったときは「どうして」と疑問だったという。だがその後、たまたま参加したラグビー体験会でプレーの楽しさを知る。さらにW杯誘致に携わる人たちと直接交流する機会があり、その熱心さに触れて「本気で応援したいと思うようになりました」。大会中、市中心部に設けられた「ファンゾーン」では、各試合のパブリックビューイングが行われた。土橋さんは何度も足を運び、国内外から訪れた人と一緒に観戦したり、試合後の飲食店で居合わせた外国人客にメニューを教えたりと、交流を楽しんだ。