日露戦争では日本の状況「可視化」できていた
それで金子はその役を引き受けることになった。その時に伊藤は、この戦争がうまくいくとは思えない、それだけにアメリカに間に入ってもらって納めどころをきちんと見極めなければならないとの感想を伝えている。伊藤の言はまさに政治と軍事を調和させる需要な指摘だったのである。金子は、伊藤の言に納得してアメリカに渡った。こういう状況をいくつか並べていくと、日露戦争は前述のように、「政府・軍部・国民」が表面上は一体となっていたといっていいであろう。これは天皇に対して、伊藤のような真に忠臣たろうとした存在がいたからであった。
同時に日本の置かれた状況が政府の側やジャーナリズムによって、比較的国民に諸事情が伝えられていたということもある。日本の置かれた状況が国民にも可視化して捉えることができたのだ。軍人勅諭は軍内で中心軸に据えられてといっても、そのために一身を賭すのではなく、国家、国民、そしてその中心軸に存在する天皇に対する忠義の心理だったように思う。日露戦争のこうした構図を見ていくと、可視と不可視の間には稜線があるとも理解できる。それを明らかにした上で、昭和の太平洋戦争の構図が異様な形になっていて、可視と不可視の間が崩れていることがわかってくる。日露戦争の英知はなぜ受け継がれなかったのか、そこがきわめて重要なポイントになるのである。(第44回に続く)
プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)、『天皇陛下「生前退位」への想い』(新潮社)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。