愛は「マシュマロ」のような
「ねむの木」を始めるにあたって、吉行さんと、「3つの約束」をしたという。「愚痴を言わない」「お金がないと言わない」「やめない」。
その約束を守り、宮城さんは「ねむの木」にのめり込む。歌手、女優をほぼ休業して専念、障害児施設のほか、小・中・高・専門部・幼稚部の特別支援学校を持ち、美術館、工房などもある職員約100人の複合的な福祉施設へと大きく育てた。
宮城さんは1994年の吉行さんが亡くなる1か月前、特別に「ねむの木」から休みをもらう。東京の聖路加病院に泊まり込み、日野原重明医師らとともに最期を看取った。吉行さんの遺言は、「全作品の著作権はまり子に」だった。宮城さんは思い出の品々を集めて、ねむの木に「吉行淳之介文学館」をつくった。自らが選んだ吉行さん作品のアンソロジー『宮城まり子が選ぶ吉行淳之介短編集』も出版した。
吉行さんと、ねむの木の子どもたちとどちらが大切なのか。宮城さんは、そう自問することもあった。
「(私は)淳ちゃんを一番愛している。そしてもう一つの、一番愛しているのはねむの木の子ども」(「私の履歴書」)
愛は、マシュマロみたいなものだ、とも書いていた。二つに分けても、それぞれがふわっと大きくなり、再び同じ大きさになると。