「電力不足」恐れる関電の事情
こうした関電の行動の背景にあるのは、「電力の安定供給」のためなら何をもいとわないDNAとも言えよう。今では想像できないが、昭和30年代の関西は急増する電力需要に対して供給が追いつかず、電力不足に悩まされていた。停電が相次ぎ、「電気をよこせ」デモさえも起きていたという。
そこで社運をかけて建設したのが水力発電専用の黒部ダムであり、急峻な黒部峡谷に巨大建築物を造る難工事であったため、100人を超える建設作業員らが犠牲になった。さらに増える電力需要に対応するため、関電が次に目を付けたのが原子力発電であり、関西から直線距離は近いが人口が少ない若狭地方に美浜(3基)、高浜(4基)、大飯(4基)の各原発を相次いで建設していった。
関電にとって、3原発を計画通りに運転することは至上命令であり、そのためには多少のことなら目をつぶる、と考えたとしても不思議ではない。豊富な財力で反対派を切り崩して目的は達したものの、ミイラ取りがミイラになってしまい、コンプライアンス重視の現代になって過去の「闇」があぶり出されたのだ。