パラ選手と一緒に給食、中学生同士がTシャツ制作
飯舘村は2018年2月、ラオスに訪問団を派遣。一行は同国の教育スポーツ省を表敬訪問し、東京五輪・パラリンピックに出場する選手の合宿を村で行うよう検討してもらうため、「ぜひ視察に来てほしい」と招待状を渡した。このとき、放射能に関する詳しい資料を携え、村内で選手が練習する場所は線量が低い点を丁寧に説明した。
訪問団はさらに、中学校建設を支援したドンニャイ村にも足を運んだ。ラオスの首都ビエンチャンから空路、さらに車で未舗装の道を数時間走る遠方の村。訪問団のひとりで「いいたてスポーツクラブ(前・飯舘村体育協会)」理事長の大澤和巳さん(58)は到着後、村民の「人懐っこさ」を肌で感じたという。建物は粗末で、決して豊かとはいえないが精一杯歓迎してくれる姿に胸を打たれた。「村同士の子どもたちの交流が、もっとできるといいと感じました」と振り返る。
この半年後、ラオスから教育スポーツ相ら7人が飯舘村に視察に来た。陸上競技場やサッカー場を備えた、新しい「いいたてスポーツ公園」を案内すると、視察団は設備の充実ぶりに目を見張った。そして19年9月、ラオスの水泳パラリンピック選手・コーチら計12人が合宿にやって来た。10日間の滞在期間中、中学校のプールで練習。一方で、中学校では授業を見学し、生徒と一緒に給食を食べ、歓迎会や壮行会では参加者と触れ合った。大澤さんも選手と交流し、「明るく、とても前向きだった」と語る。
ホストタウン事業の当初目的に掲げた、ラオスの子どもたちの招待も実現した。20年1月、ドンニャイ村から3人の生徒が、飯舘中を訪問。お互いのふるさとを紹介し合い、一緒にTシャツ作りに挑戦した。言葉はなかなか通じなくても、子どもたちはそれを苦にせずコミュニケーションを図った。
大澤さんは、東京五輪・パラリンピックでは「村を挙げて、できればラオスの選手の応援に行けるといいですね」と話す。ラオスとは、震災以前から信頼関係を強めてきた。今回の五輪・パラ支援をきっかけに、「スポーツを通しての交流、例えばお互いが生涯スポーツを楽しめるような後押しを続けていけたら」と、大澤さんは望む。
(J-CASTニュース 荻 仁)