「姉貴!母さん生きてた!」 窪塚妻・PINKY、震災で母が一時行方不明になった過去

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   俳優の窪塚洋介さんの妻でダンサーのPINKYさんが、東日本大震災から9年を迎えての想いを明かした。

  • PINKYさんのブログより
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「住んでいた家も無くなりました」

   PINKYさんは2020年3月11日にブログを更新し、9年が経った東日本大震災を振り返り、

「私の実家は岩手県の内陸部なのですが、当時は母が単身赴任で宮古市の下に位置する山田町という海沿いの町に暮らしていて被災しました」

と自身の母が被災者となったことを告白。震災直後、3日間母と連絡が取れず、ニュースの死亡者欄も見ていたというが、弟から「姉貴!母さん生きてた!」との連絡があり、ようやく母と電話することができたという。その時の心境について、

「言葉に出来ないくらいの感謝と安堵の気持ちを、一生忘れることは出来ないと思います」

と語った。

   母の職場は高台にあったっため、命は助かったものの、「町は全壊し、住んでいた家も無くなりました」と母の住む町も家も津波によって流されてしまったという。PINKYさんは母が話してくれた「今の自分を、一瞬一瞬を、大事に大事に、誠実に生きること」という母の言葉を胸に刻んでいるといい、犠牲者の冥福を祈りつつ、

「自分や家族を守るための備えは万全にして、安心も心配もせず、誠心誠意、日々を生きていこうと思います」
「愛する人達と共に生きる愛に溢れた毎日を過ごせることに心から感謝します」

とつづっていた。

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