石巻の2人は、なぜ聖火ランナーに立候補したのか【震災9年 東北と復興五輪(1)】

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「やって、いかったんだな」と思えた

   東日本大震災の津波で大きな被害を受けた石巻市南浜。ここにひときわ目を引く大きな看板がある。

「がんばろう!石巻」

   震災から1か月後にこの看板を作った黒澤健一さん(49)も、石巻から聖火ランナーに選ばれたひとりだ。「復興五輪にしていくのは、自分たち」との思いから一般公募で応募した。強く望んでいただけに、内定が出たときはとても喜んだという。

   黒澤さんは現在、「がんばろう!石巻の会」事務局長を務める。メンバーは普段の生活が忙しい。そこで無理に会の活動範囲を広げず、地域でできることをやろうとの方針だ。毎年3月11日に追悼の集いを開催するほか、季節の花を植え、草を刈るといった活動を行う。また震災1年後の日から、亡くなった人を忘れないための灯火を続けている。

「津波に負けたくない。地域の人を励ましたい。亡くなられた人たちへの追悼の思い。加えて、次の犠牲を出さない。これらが私たちの活動の原則です」

   「がんばろう!石巻」の看板作りを黒澤さんが発想したのは、震災から10日ほどたった頃。がれきをかきわけて家族を探し回る人たち。皆、うつむいていた。知人が電話で「もうだめだな」と口にしたとき、「いや待て。俺たち生きてるんだから、今からだべ」と励ました。実は電話の前までは自身も「もうだめだっちゃ」と思っていた。「がんばんなきゃ、いけねえ」と気持ちを奮い立たせた。

   市中心部に、市街地を見渡せる小高い日和山がある。そこを下ると、がれきに埋め尽くされた、悲しみしかわかない街の風景が広がっていた。「自分に何ができるか」自問自答を繰り返した。山から下りてきたときに、少しでも希望が持てるものを見せられないか。考えた末、仲間と共に、流されてきたベニヤ板や木材を拾い集め、看板作りを始めた。

   「がんばろう!」には、「がんばっていける人から、みんなでがんばっていこうよ」という思いを込めた。制作途中も、葛藤はあった。だが、作業中に励ましてくれる人、黙って泣いている人、手を合わせる人に会った。「やって、いかったんだな」とその時、思えた。

「やったからには、中途半端では終われない。その時覚悟を決めたのです」

   賛同者は着実に増えている。会のフェイスブックで情報発信を続け、「いいね!」は9100を超えた。自分が活動している間は、きっちりと記録を残していこうと黒澤さんは努力を惜しまない。

   会の基本理念のひとつ「地域の人を励ましたい」。これが、黒澤さんが聖火ランナーとして走りたかった理由だ。「地元の人にとって全然知らない人よりも、知っている自分が走れば、励ましになるかなと思ったのです。(内定が出て)周りの皆さんも喜んでくれました」。

   石巻市を聖火ランナーが駆けるのは、今年6月20日だ。(この連載は随時掲載します)

(J-CASTニュース 荻 仁)

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