東日本大震災から9年となる2020年は、日本各地が新型コロナウイルスの感染拡大に揺れる春となった。そして夏には、東京五輪・パラリンピックが控える。
「復興五輪」と位置付けられる東京五輪。岩手、宮城、福島に住む人々はどうとらえているのだろう――。素朴な疑問を携え、今年もJ-CASTニュースは東北3県を取材した。初回は宮城県石巻市で、五輪聖火ランナーに選ばれた2人のストーリーだ。
「津波が来る。対策は『逃げる』しかない」
鈴木典行さん(55)は、聖火ランナーへの応募を周囲には内緒にしていた。2019年12月に内定通知が届くと、「これで、娘の真衣と一緒に走れるという願いがかなった」と、心の中で喜んだ。
「本当は大川小学校の前を走りたかったのですが...」
2011年3月11日、石巻市立大川小学校は大津波にのまれ児童74人、教職員10人が命を落とした。鈴木さんの次女で、6年生だった真衣さんもそのひとりだ。聖火を持って走る際は、学校で見つけた真衣さんの名札を胸に着けようと決めている。
鈴木さんは現在、仕事のかたわら「大川伝承の会」共同代表として、大川小の校舎で当時の様子を訪問者に話す「語り部」をしている。記者が取材した日は、高校生のグループが訪れていた。津波で壊れた建物を自ら案内し、語り掛ける。
「津波が来る。対策は『逃げる』しかない。そうでないと、死んじゃうんです。『大丈夫』は、ないんです」
鈴木さんは、強い言葉で繰り返した。愛しい真衣さんを探し回った記憶――。本人はつらいはずだが、高校生の胸に響くように話した。
大川小では児童たちが、学校管理下にありながら命を失った。裏山があるのに、「山に逃げよう」という生徒がいたのに、なぜ避難しなかったのか。50分間も校庭で待ち続けた理由は――震災後の市や学校側の説明、対応が不十分だと、一部遺族が2014年、宮城県と石巻市に対し損害賠償を求める訴訟を仙台地裁に起こした。遺族側は事実の解明を求め、学校防災につなげたいと考えた。本来伝えたいこうしたメッセージが、地元では理解されたが全国にはなかなか広がらず、心ない中傷も浴びせられた。
一、二審とも市と県に賠償金の支払いを命じた。2019年10月、最高裁は市と県の上告を退け、学校側の震災前の防災対応に不備があったという二審判決が確定した。
記者が大川小を訪れた日は、強風で雪の舞う荒れた天気だった。石巻市中心部から車で約40分、公共交通機関はない。それでも、取材中に車やバイクで訪れる人を何人も見かけた。
「皆さん、学びを求めて来られます。語り部が5人いたら、5人の違った話があります。大川小に何度も足を運んでくれる人が多いですし、訪れる人の数は増えています」
自身が聖火ランナーとして走って、「大川小がメディアに取り上げられれば」と鈴木さん。「復興五輪」という名称については、
「今、日本国内が被災地だらけです。全国の復興支援のための復興五輪であってほしい」
と望む。