2020年3月14日のJRダイヤ改正で、JR東日本の常磐線に残っていた東日本大震災による不通区間が運転を再開する。運転再開に合わせて、同線を震災前に走っていた特急「ひたち」もまた、9年ぶりに全線で運転を再開する。
福島第一原発事故と津波で多大な被害をこうむった常磐線の看板列車は、震災前の計画を変更して全線を直通して復活することになった。鉄路がつながることの意味合いは大きい。
いわきで列車を分割予定だった
常磐線の特急「ひたち」は1969年に運行を始め、1972年に仙台まで運行区間を拡大、長らく常磐線の看板特急として親しまれた。震災前は「スーパーひたち」として、上野~いわき・原ノ町・仙台間を651系電車で運転、うち下り3本、上り4本が上野~仙台を直通していた。
ところが2010年12月時点のJR東日本の計画では、12年春以降にスーパーひたちの運転区間を分割し、上野~いわき間の列車といわき~仙台間の列車に分離される予定だった。上野~いわき間は新型車両のE657系を投入するが、いわき~仙台間は「フレッシュひたち」用のE653系を転用する。いわき~仙台間の列車は新しい愛称で運転される計画だったが、車両は「型落ち」のローカル特急となり、格下げの感覚は否めない。
11年3月11日の東日本大震災発生と福島第一原発事故で、常磐線は地震発生当日に全線で運休、徐々に運転再開していくも、未だ富岡(福島県双葉郡富岡町)~浪江(双葉郡浪江町)間が不通のままで、「ひたち」もいわきまでの運転となっている。2020年までの9年間で常磐線の特急車両はE657系に統一され、上野東京ラインの開業(2015年3月14日)で品川発着となった。3月14日のダイヤ改正後は「ひたち」のうち上下3往復が品川・上野~仙台間で運転される。
「異例」の長距離特急復活
長距離を走る在来線の特急は、途中駅で系統を分割して運行距離の短距離化を進めるのが全国的な傾向である。新潟~秋田間の特急「いなほ」は、もとは新潟~青森間で運行する列車もあったが、10年12月のダイヤ改正で青森~秋田間は「つがる」に分割された。大阪~名古屋~長野を直通運転していた「しなの9・16号」は16年3月の改正で大阪~名古屋間が廃止になった。
これら長距離の特急の運行区間が短縮されたため、今回運転を再開する品川~仙台間の「ひたち」の約379㎞が本州最長距離を走る昼行特急になった。長い編成の列車を長距離走らせるよりも、短い編成の列車を短距離で運用した方が効率がいいという傾向の中で、東京から仙台まで10両編成で走る「ひたち」は異例の運用である。震災前はいわきで系統を分割する計画だったのを常磐線全線の通し運転としたことも、震災から沿線の完全復旧の象徴も込められているだろう。
新ダイヤの概要発表前の19年7月に、JR東日本は東京~仙台の直通特急を常磐線復旧と共に運転すると発表し、E657系を2編成20両新造。同社の意気込みがうかがえる。
もしそのまま分割されていたら
常磐線全線復旧の話題性は大きく、「ひたち」や普通列車で常磐線を乗り通したいという旅行者も少なくない。いわき以北は仙台まで大きな都市はなく実質ローカル線のようでもあるが、相馬(福島県相馬市)~亘理(宮城県亘理町)間では津波で甚大な被害を受けた複数の区間で海沿いの線路を山側に移設して高架化して津波災害に備えるなど、鉄道を維持する取り組みが続いていた。
もし従来の計画通り、特急もいわき~仙台間の運転となっていたら、この沿線と首都圏との心理的な距離はますます遠くなり、震災によって地域が切り捨てられたような印象をもたらしたかもしれない。常磐線と「ひたち」の完全復旧は交通が便利になる以上に、被災地域を維持する努力を可視化し、東京など大都市に住む人にも復興を「他人事」ではなく、同じ国の課題として受け止める効果も期待されているのではないだろうか。
(J-CASTニュース編集部 大宮高史)