保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(41)
軍人勅諭と戦陣訓――明治と昭和の戦時観の違い(その2)

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「お前たちは死ぬな。捕虜になれ」と叫んだ米軍兵士

   アメリカ側の兵士の手記を読むと、玉砕の日は日本兵は傷ついているにもかかわらず、横に一直線になってアメリカ軍の構えている陣地に進んできたというのである。「お前たちは死ぬな。捕虜になれ」と叫んでいるアメリカ兵は自分たちとはあまりにも異なる価値観に強い衝撃を受けた。しかし、日本の戦時指導者は、この玉砕こそ、日本兵のありうべき姿として讃えられ、単行本が7、8冊も刊行され、歌も作られ、絵画でも現され、異様な興奮状態が戦時下の日本社会に作り出された。この玉砕に続いて敗戦時までに玉砕は12回に及んだ。

   しかしよく考えて見るとわかるが、この興奮状態は大本営参謀たちの責任逃れという以外にない。と同時にアメリカ、イギリスなどの連合軍は、こういった場合、捕虜になるか、最後まで戦うかは大体が現地の最高司令官の判断に任せられる。本国の参謀本部では現地軍の意向を尊重するのが、いわば20世紀の戦争でもあった。日本は現地の最高司令官にその権限を与えない。そのために最後まで戦えという命令を下して平然としていられるのだ。自分たちは戦場の過酷さとは一線を引いて作戦重視という名分のもとに玉砕部隊を見殺しにするといっても良かった。

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