「僕の人生、20歳がピークでした」
日本営業大学は、4月に東京校と大阪校が開校する。同校は元アスリートと企業を直接結ぶだけではなく、セカンドキャリアに向けて社会常識やビジネスマナーなどを指導した上で企業に人材を紹介するというシステムとなっている。教育期間は1期3カ月間で終了して卒業となり、年間を通して第3期まである。
入学試験は書類審査とスタッフによる面接が行われる。学費に関しては独特のシステムを導入しており、入学金は3万円が必要となるが、その後の受講費はすべて後払いとなっている。就職してから3年間、毎月5000円を学費として学校に収める。生徒の金銭的な負担を軽減させ、生徒と3年間つながりを持つことで、就職してからも支援体制が継続できるという。
同校の代表理事を務める中田仁之氏は、ある元高校球児との出会いが同校を設立するきっかけになったという。4年前の出来事だ。中田氏が出会った元球児は、高校時代に甲子園に出場し、野球推薦で大学に進学したほどの選手だった。大学でも活躍が期待されたが、高校時代の輝きは徐々に光を失い、練習過多でケガをしたことが原因で部を退部。同時に大学も去った。
中田氏は、その元球児がこぼした言葉に衝撃を受けたという。「僕の人生、20歳がピークでした」。幼いころから野球に打ち込み、大学を退学してから行き場を失った青年。中田氏はこの青年に人生の先輩としてアドバイスを送り、ビジネスマンとしてビジネスマナーの「いろは」を教えたという。この青年は中田氏の指導の下、やがて社会に羽ばたき、今では企業に就職して第一線で活躍しているという。