そもそも「検察庁法」の成り立ちは?
戦後間もない1947年、検察庁の組織運営と検察官の任命手続について定めたのが「検察庁法」だ。検察官も国家公務員ではあるものの、そのなかでも検察官を特別に抜き出し、検察官にだけ適用する法律として、「検察庁法」は国家公務員法に先立ってつくられた。
どうして検察官だけ特別なのかというと、検察官には首相すら逮捕できる「強大な権力」があるからだ。こうした権力を持つからこそ、「検察庁法」で明確に検察官の権限を定め、さらに恣意的な判断で定年が決まらないよう、一律に検事総長は65歳、それ以外の検察官は63歳で定年とし、その年齢に達したらどんな検察官も辞めるというルールでやってきた。
さらに、検察の中立性を維持するため、検察内部で大事にされてきた原則がある。それが「検察官同一体の原則」だ。検察官の誰もが同じ職務を遂行し、同じ成果を出す、代わりの効かない存在は「いない」という考え方だ。
東京高検検事長の定年延長の理由について、政府は「東京高検管内で遂行している重大かつ複雑困難事件の捜査公判に対応するため」と説明しているが、「検察官同一体の原則」から考えると理由とはならない。「東京高検検事長だけが遂行できる仕事」という考え方をすること自体、「検察官同一体の原則」に反するからだ。
こうしたルールや考え方に基づき、検察権力は平等中立に行使され、国民からは「検察は中立に正義を実現している」と信頼されてきた。そして、こうした信頼関係が「法治国家」の礎にもなってきたのだ。