「前澤さんのおかげで、人生が変わりました」。車いすYouTuberとして活動する寺田ユースケさん(29)は、実業家・前澤友作氏の「100万円のお年玉」企画に当選してからの1年をそう振り返る。「鳴かず飛ばずだった」というYouTubeチャンネルも、ある動画が600万再生を記録したのを機に、上昇気流に乗り始めた。
ポンと振り込まれた100万円に、最初は「戸惑った」という寺田さん。お年玉応募の際に伝えた使い道も結局実現できなかった。だが、悩んだ中で得た「気づき」もある。この1年、「お年玉」をどのように使い、何を思ったのか。J-CASTニュースは2020年2月12日、東京都内で開かれた「バリアフルレストラン」メディア体験会(主催・公益財団法人日本ケアフィット共育機構)に出席した寺田さんに詳しく聞いた。
「オシャレしたい障害のある子ども100人にプレゼントしたい」
「【1日密着】車イスYouTuber(夫婦)の私生活を大公開します!」「【赤裸々】めちゃめちゃ明るい障がい児の育て方を両親が語ってくれました!」。寺田さんが自身のYouTubeチャンネル「寺田家TV」でアップする動画タイトルの一例だ。扱うテーマは、車いすユーザーのリアルな生活模様。チャンネル概要には「障がい事情やバリアフリー、多様性、面白おかしく学べるように発信していきます!」とあり、妻・まゆみさんとともに、時には体当たりで、時には笑いも交えて「ありのまま」を伝えている。
今でこそ数万再生の動画も増え、YouTuberとしての収入が安定しつつあるが、18年3月のチャンネル開設からしばらく苦しんだ。「20~30回しか再生されない動画もザラでした」と言う寺田さん。転機が訪れたのは2019年1月のことだった。
「早速ですが、当選です!」。ファッション通販を手掛けるZOZO創業者で前社長の前澤友作氏から、ツイッターのダイレクトメッセージ(DM)に通知が届いた。募集投稿のリツイート(RT)とフォローした人の中から100人に100万円、合計1億円の「お年玉」をプレゼントする前澤氏の企画に当選を果たしたのだ。倍率約5万倍を引き当てた。
19年版は、100万円の使用目的をリプライなどでアピールする応募者が多かった。「100万円分の服を購入し、オシャレしたい障害のある子ども100人にプレゼントしたい」。寺田さんもそんな思いを伝えた。
「応募したのはノリでした。誰にでもチャンスがあるなら応募してみよう、くらいの気持ちです。せっかく応募するなら思いを伝えたいし、当選しやすくはしたかったんです。ゾゾがアパレルなので服を絡めてアピールしましたし、『ゾゾスーツ』を着てYouTubeの動画に出るとか、色々やりました」
「もうやりたいことに使っちゃえば?」
だが、これが後の悩みを生む。寺田さんは1年を振り返って20年1月4日に更新した「note」の記事で、「天使と悪魔が戦う1年間となってしまった」と表現している。
100万円でやりたいことは3つあった。第1希望はYouTube動画の制作費に充てること、第2希望はYouTubeと並行して取り組んでいた「全国車いすヒッチハイクの旅」の旅費に充てること、そして第3希望が障害者100人に服をプレゼントすること。第1・2希望が「個人的な想い」にすぎないかと懸念していたところ、第3希望の内容を閃いた。
「服をプレゼントしたい気持ちはウソではありませんが、自分の中でそれほど優先順位が高くないことでした。お年玉に当選して、実現に向けて動こうとなると、まず人手が足りませんでした。誰にどうプレゼントすればいいのかといったことも含め、どうすればいいか分からなくて困ってしまいました...」
YouTuberとして駆け出しだった寺田さんの暮らしは、自転車操業状態。日々のチャンネル更新と、47都道府県を行き来しながら出会った人に車いすを押してもらう「車いすヒッチハイクの旅」とで、時間も労力も余裕がなかった。服のプレゼントができないまま1か月以上が過ぎた。口座には100万円の大金――。「もうやりたいことに使っちゃえば?」。寺田さんの耳に「悪魔」がささやいた。それを「前澤さんに伝えたとおり実行しないと!」と「天使」が諫める。
悩んだ結果、寺田さんが最初に取った行動はというと、まさかの「リボ払いの完済」だった。40万円以上抱えていたという。独立したてで資金が底をついていたといい、noteではお年玉のそんな用途も赤裸々に明かしている。なかなか言いづらいことに思えるが、なぜ書いたのか。
「この100万円の使い道は、書くなら全部書かないといけないと思いました。中途半端にしてしまうと多くの方を裏切ってしまう。『服をプレゼントする』と言って、楽しみにしてくださった方がたくさんいました。自分に都合の悪いことを隠すような形で裏切るのはいけない。当時の自分の状況をできる限り鮮明に伝えないといけない。だから、リボ完済も書きました。書くのは妻から結構反対されましたが」
ある子供のために福岡へ...「余裕」のおかげで動けた
身軽になった寺田さんは、本当にやりたかったことへ、残ったお年玉の使い道を転換する。先述した第1希望、YouTubeの制作費として、4K対応の高性能ビデオカメラと、GoProを購入したのだ。あわせて約15万円。これが、チャンネルに劇的な変化をもたらす。
新調した撮影機材で気合が入り、金銭的にも精神的にもゆとりが生まれたことで、思い切った企画ができるようになった寺田さん。19年2月16日に投稿した「障害者の性」を扱った1本の動画が、空前の620万再生を記録した。「障害があってもみんな変わらない」ことを伝えるため、知人女性2人にも出演してもらい、「センシティブな内容」(動画説明より)を正面から取り上げている。
低評価2000件に対し、高評価2万1000件を得るなど感触も良かった。チャンネル登録者数も、1500人程度から一気に2万人超へと跳ね上がった。その後の動画再生数も徐々に安定し、広告収入も増えていく。YouTubeでどうにか生計を立てられるようになっていった。
「車いすYouTuber」の存在が知られていく中、福岡のある母親からメールが届いた。5歳の息子が病気のため、なかなか外で遊べない。寺田さんの動画で笑うのが楽しみで、「息子に会っていただけないか」というお願いだった。
「メールには、その子が余命宣告を受けているとありました。今は落ち着いていても、いつどうなるか分からない。僕の力を必要としてくれる人がいるならと、すぐに会いに行こうと決めました。
これまでリボの40万もあってあまりムチャはできなくて、自然と安パイを選んできました。でもお年玉で余裕ができ、妻と2人で15万円くらいポンと出せました。福岡では、その子の希望でラーメンを一緒に作ったんですが、すごく喜んでくれました。僕も嬉しくなりました。その親子の笑顔は、やりがいある仕事ができたと思わせてくれました」
キンコン西野番組へ...乙武さんから助言
寺田さんの行動力はその後も衰えない。9月にはお笑いコンビ「キングコング」西野亮廣さん(39)らがゲストの悩みを聞いて解決に導くAbemaTVの番組「株式会社ニシノコンサル」に出演。「ブレーン」として参加していた作家・乙武洋匡さん(43)とも共演し、助言を得た。
「単純に相談したくて応募したんです。お年玉の使い方でプレッシャーを感じていたところがあって、ちょうど西野さんがコンサルをされている番組を知りました。そこで乙武さんから、『キャンプが良いんじゃない?』とアドバイスをもらいました。『それだ!』と思って、40万円くらいかけて、車いすの子どもたち中心に30人くらいでキャンプに行きました。みんな笑ってくれて、本当にやって良かったと思いました」
寺田さんはnoteに、このキャンプのこともつづっている。土や草の上では動きづらく、「実はかなりハードルが高い」という車いすでのアウトドア。万が一に備え、医師、看護師、理学療法士、手伝いのスタッフら、多くの協力を得て実現させた。障害があることで「なかなか遊びに行きたい気力が持てない」子どもたちが「外で遊ぶキッカケを得てくれたと思うと嬉しくて嬉しくてたまらなかった」という。
ここまでの活動にもあるように、寺田さんの根幹には「障害のある子どもたちの背中を押したい」という思いがある。それは自身の過去とも関係している。
「僕のコンプレックスですが、お笑い芸人だった時代があって、テレビに出たかったんです。でも出られなかった。トーク力がなかったので実力不足が大前提にありますが、『障害を笑いにしたり面白がったりしてはいけない』という風潮もあったと思います。大好きなバラエティに僕が出る隙間はなかった。出られる社会じゃなかった。それってすごく残念だし、夢がないなと思うんです。
だから僕は今、YouTubeを通じて、夢を持った障害のある若い子どもたちが活躍できる場所を作りたい。背中を押したいんです。ゆくゆくは動画に出演してもらえたらいいですね。自分が若いころ全然活躍できなかったから、そう思うようになりました。そのためには僕がもっと売れないといけないので、まだ先の話ですが...」
寺田さんが「車いすYouTuber」になるまで
生まれつき脳性麻痺の障害を持っている寺田さんだが、19歳まで車いすを使わずに生活していた。だが「傍から見たら歩き方がいびつな感じで、思春期はネガティブになり、人目を避けるようになりました」。複雑な少年時代を過ごした。
20歳の時、両親から車いすに乗ってみないかと言われたが、「僕は嫌だったんです。元々障害者ですが、自分で歩いていたので、『障害者になりたくない』みたいな気持ちがありました」。それでも親の強い勧めで車いす生活を始める。すると「革命が起きました」。
「移動できるようになったんです。歩いていた時は20メートルくらいで疲れていたのが、車いすなら2~3キロは動けます。いろんな人に言っているんですが、僕にとって車いすは『カボチャの馬車』でした。可能性を広げてくれる乗り物です」
大学2年の時、1年間の英国留学を経験。そこでブラックユーモアあふれる現地のコメディに触れ、人生観が変わる。「日本でも、障害や車いすをお笑いにできたらいいのにな」。国内でも友人らとは冗談を言い合った。しかし「その輪から一歩出ると遠慮されてしまう。英国ではそういうことがなく、いろんな立場の人が一緒に住んでいました」。帰国後に選んだ職業が「お笑い芸人」だった。
だが、先のとおり売れなかった。その後はホストも経験したが、これも挫折。路頭に迷っていた時に思いついたのが、先の「車いすヒッチハイクの旅」だった。東京と全国を行き来し、旅の様子をネットでライブ配信。そのうち「動画で記録し、いつでも見てもらえるようにしたい」と思い立ち、YouTubeへの投稿を開始する。
「町で『車いす押していただけませんか?』と声をかけ、人と触れ合う旅でした。僕はバラエティの旅番組が好きで、出川哲朗さんの『充電させてもらえませんか?』(テレビ東京)、鶴瓶さんの『家族に乾杯』(NHK)に、タモリさんの『ブラタモリ』(NHK)といった番組をよく見ます。自分もそんな旅をしていたのに『映像がないのはもったいない』と思いました。ちょうどそのころ、妻と結婚したんですが、カメラマンを雇うとお金がかかってしまうので、妻には撮影役で旅についてきてもらいました」
過密なスケジュールで運営していたが、先のとおり伸び悩む。「真夏は朝8時にホテルを出て、夕方6時ごろまでぶっ通しで撮影、夜7時から2人で編集し、翌日アップする。そんな日々で結構過酷だったんですが、まだ編集技術もなかったですし、よく考えたら夫婦2人の旅なんて誰が見たいんだろうと...」。そして「しんどい期間が半年ほど続いていた時、前澤さんの『お年玉』に当選したんです」。
悩む中で「障害のある子どもたちの後押し」に立ち返る
アピールした「障害ある子どもたちへの服のプレゼント」は実現できなかったが、「今は手段の違いだったと思っています」と、寺田さんは1年を振り返る。
「有言実行しないといけないんだろうかという悩みは、すごくありました。でも悩む中で、一番の目的である『障害のある子どもたちの後押し』に立ち返ったんです。大事なのは本質の目的だと気づいて、それを形にする方法が服のプレゼントなのか、YouTubeの活動なのか、手段の問題だと思ったんです。
障害者のリアルを伝えたり、病気と戦う男の子と企画をしたり、障害のある子どもたちとキャンプをしたり。本質の思いを形にする活動はできているかなと思っています。前澤さんもきっと笑ってくれるだろうなと思います」
お年玉に始まったこの1年の活動は「全てつながっていた」という寺田さん。YouTubeで結果が出てきたことで誘われた仕事もある。「去年の100万円がなければYouTuberとしての今の自分もなかったと思います。発信すること、声をあげることは大事なんだと実感しました。前澤さんのおかげで、この1年は人生が変わりました」。そして今後の活動をこう見据える。
「YouTuberとしては『今』スタートした感覚が強いです。現在2万8000人の方にチャンネル登録をいただいていますが、マグレで当たったと思っています。芸能人も続々と参入し、戦国時代と言われるYouTubeですが、自分たちには『マイノリティ』という武器がある。それをプロに負けないクオリティで発信できれば、多くの人に届くはず。金銭的な余裕ができて積極的になったし、クリエイティブ性も高まったと思います。よりメッセージ性のある動画もつくっています。
誰もできなかったテーマを、面白おかしく、エンターテインメントとして伝えていきたいんです。僕は僕のやり方で、マイノリティの出来事を伝え、マジョリティとの垣根を無くす架け橋になりたい。障害者が100人いれば100通りの生き方があります。それが伝わることが大事だと思うので、自由に発信できるYouTubeは僕に合っているかもしれません。
僕から車いすを取ってしまったら何も残りません。例えばWordやExcelも使えません。もし神様が現れて、障害を直せると言われても『直さないで』と言いますね。自分の経験が誰かの役に立ち、ご飯を食べさせてもらっている。語弊を恐れずにいえば、障害者で良かったなと思います」
寺田さんは取材の最後、スマートフォンの画面を見せながら「こうやってテロップの入れ方とかもこだわるようになったんですよ。編集体制も4人チームになったんです」と動画づくりの楽しみを語った。「これからの1年でどうなるか。数字が伸びてくれたらいいですけど...上手くいかなかったらまた考えます」。車いすYouTuberの創作意欲は尽きない。
(J-CASTニュース編集部 青木正典)