「せめて墓標を」──遺骨収集にこだわる国に、シベリア抑留者遺族が訴えたいこと【71年目の死亡通知】(下)

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大切な地域の人びととの交流

   埋葬地を維持していくにはやはり、その地域の人びととの理解や協力も欠かせない。慰霊巡拝に参加した人たちのレポートを読むと、ロシアの人びととの心温まるエピソードがたくさん紹介されている。

「スパシーバ(ありがとう)と言いつつ涙こぼす吾を慰めくるる村の人たち」
「慰霊終へ涙すわれをしっかりと抱きしめくるるサプリキンさん」
(岡山県 土師世津子さん)
「埋葬地での慰霊祭に近所の小学校の女の先生がやってきて、赤いバラの花を供えてくれました。そして、収容所にいた日本人について調べてくるようにという課題を出し、祖父母らから聞いた話を生徒たちがまとめたものだ、と絵入りの冊子を見せてくれました」
(岩手県 及川紘子さん)
「慰霊巡拝ではそれぞれの地方の行政機関を表敬訪問したあと、埋葬地で慰霊祭をおこなうのだが、ときには10人以上のスタッフが同行し、儀式の準備を手伝ってくれた。想像以上にフレンドリーだった」
(神奈川県 浜田達也さん)

   日本各地には日露戦争で捕虜となり、抑留中に死亡したロシア兵の墓地がある。松山市には捕虜収容所が設けられ、4000人を超えるロシア兵が収容されていたといわれ、98人が葬られた「ロシア兵墓地」がある。ずらりと石碑が並ぶ墓地は、地元の婦人会や中学校の生徒たちの手でいまも美しく管理されている。

愛媛県松山市の「ロシア兵墓地」。地元の人々による清掃活動が続けられている(いよ観ネットより)
愛媛県松山市の「ロシア兵墓地」。地元の人々による清掃活動が続けられている(いよ観ネットより)

   こうした例を紹介し、歴史を共有しながら、ロシアの人びととの交流を深めていくのも大事なことだろう。

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