簡素な墓標で十分
厚労省によると、これまでに所在が突き止められている埋葬地は230か所という。このうち墓標や墓石が建っているのは何か所かと尋ねると、「埋葬地に民間団体等が建立した慰霊碑は全て把握できておらず、正確な数をお答えすることは難しい」と、これまたつれない返事だ。
所在はわかっているのに、墓標の有無については把握できていないというのは妙な話だが、ここにも埋葬地の保全に関心が薄い国の態度が表れている。
そういう事情なので、何か所の埋葬地が墓標建立の対象になるのか、正確にはわからない。しかし、1990年代にシベリア抑留帰国者の団体が2千万円の募金を呼びかけ約100か所の埋葬地に石碑を建立し、その多くがいまも各地に残っている。
さらに戦友会などの石碑も存在しており、あらたに墓標建立の対象となるのは100か所前後とみて、大きな間違いはないだろう。
墓標は簡素なものでよい。日本人が葬られていることを示す「目印」の役割をはたしてくれるものであれば十分だろう。加えて、経費節減のために、墓標はロシアで調達するのがいいのではないか。日本に比べて制作費、設置費が安いし、かりに墓標が壊されるようなことがあっても補修が容易だからだ。
(上)でも触れた、第4865特別病院・第2墓地(埋葬者数270、遺骨未収容。2016年9月)。1.2メートルほどの高さの墓標が立つ。簡素ではあるが、せめてこうした墓標があれば、というのが筆者の願いだ。
ちなみに、墓標をロシアで調達すると、縦横30cm、高さ120cmの日本式の石碑本体と土台で、日本円にして1基20万円程度という。設置費は別として、100基で約2千万円という勘定だ。
実は、1950年代にアジア・太平洋地域の激戦地に派遣された遺骨収集団のもう一つの任務は、遺骨を持ち帰ることができない戦没者のために「戦没日本人之碑」と刻まれた墓標を建立することだった。しかし当時、これらの地域では反日感情が強く、途中で打ち切りになったという経緯がある。
これに対してロシアの場合は、日ソ協定の第3条に「慰霊碑建立の要請があったときには、その実現のため可能な範囲で必要な協力を行う」と定められている。さらに、協定の第1条4項には、ロシア側の責任として、「日本人死亡者の埋葬地を適切な状態に保つこと」と記されている。
ところが、父親の埋葬地にかぎらず、日本人の埋葬地に管理の手が入っている形跡はほとんどない。とりわけ地方政府のレベルでは、日ソ協定の存在はもちろん、墓標の建っていない埋葬地についてはその存在すら知らない、というケースも珍しくはない。
従って、実際に墓標を建立する際には、現地の役所に対して、ロシア政府から提供された資料を示し、その場所が日本人の埋葬地であること、そして日ソ協定で日本人埋葬地の維持・管理はロシア側の責任だということを、しっかり認めさせることが肝要だ。
慰霊巡拝や遺骨収集との連携も大切だ。慰霊巡拝では、野っ原に仮の祭壇を組んで手を合わせるというケースが少なくない。遺骨収集でもほとんどの場合、未収容の遺骨がまだ残っているのに、跡地はそのままに放置されている。遺族の心情を考えるなら、こうした機会をとらえて墓標を建立していくことも考えるべきだろう。
慰霊巡拝や遺骨収集では、事前に地方政府の了解をとらねばならないわけだから、墓標建立の許可も同時にとってもらう。そのうえで、慰霊巡拝や遺骨収集の日程に合わせて墓標を運び込み、地元業者に建ててもらうことにしたら、遺族には喜ばれ、経費節約にもなるだろう。
厚労省をはじめ、墓標の建立に否定的な人たちは、口をそろえて「建てた後の管理はどうするのか」と詰問する。
しかし、埋葬地としての目印もないから、ゴミ捨て場になったり、雑草が生い茂ったりするのであって、墓標を建立した後の管理については、日ソ協定をきちんと守るようロシア側に厳しくもとめるのが国の役目というものだろう。