死者は名を呼んで弔われるべきだ
遺骨収集の本来の目的に立ち戻るなら、「無縁仏」として葬られようと、遺骨が日本にかえってくればそれでよい、というものではない。
1991年にゴルバチョフ大統領から抑留中死亡者の名簿を渡された日本政府は、ロシア文字で記された名簿を翻訳し、カタカナで公開した。
第一次分として新聞に掲載された1444人の中に、私が捜す父・増子浩一の名前はなかった。田舎の母からも「やっぱりなかったね。いろんな人が、残念だったねって電話をくれたよ」と言ってきた。
名簿の原本は抑留者が日本語で述べた名前を収容所の係官らが聞き取ったもので、私の父の名前も「マスノ コイチ」となっていた。これはまだ類推可能なうちに入るだろうが、中にはおよそ日本人の姓名とは思えないような表記もあった。
自らも抑留体験者だった村山常雄は、カタカナが並ぶ名簿を見て「これでは遺族が肉親の名前を探しだすのは難しい」と、70歳でパソコンを習い、漢字表記の名簿づくりをはじめた。そして、カタカナから漢字に翻訳するという難事業に独力で取り組み、10年をかけて抑留中死亡者4万6300人分のデータ・ベースを完成させた。
その村山は、著書『シベリアに逝きし46300名を刻む』(七つ森書館)の中でいう。
「死者は一人ひとりねんごろに、その固有の名を呼んで弔われるべきであり、この人たちを『名もなき兵士』や『無名戦士』と虚飾して、人類史の襞に埋めもどす非礼は決して許されることではありません。名を呼び、問いかけ、その声を聴く。そんな真心こめた祈りこそが、真の『弔問』であり、『慰霊』となり、弔問者自身とそれを含む国と社会の再生を促す力ともなるのではないでしょうか」