区画番号NO.2、墓番号NO.36
厚労省から送られてきた「死亡証書」からは、これまで父親の命日だと思っていた12月16日は収容所から病院に運び込まれた日であり、実際に死亡したのは12月30日の午前7時ごろであることがわかった。
入院してから2週間しか生きられなかったわけだけれど、殺伐とした収容所で誰にも看取られずに死なずにすんだのは、運がよかったというべきかもしれない。死因の欄には「第III度栄養失調症」と書かれていた。
もう一つ救われたのは、遺体が野ざらしにされるのではなく、ともかくも丁重に扱われたらしいことだ。「埋葬証書」には「遺体は区画番号NO.2、墓番号NO.36に埋葬された。墓には標識として、標識版のついた木製の杭がある」と、思いがけないほど詳しい情報が記されていた。
正直言って、父の墓に盆や彼岸のお参りを欠かすことはなかったけれど、長い歳月の間にその存在ははるかに遠く、おぼろげになりつつあった。それが、「71年目の死亡通知」を幾度も読み返すうちに、父が葬られたという埋葬地をなんとしても訪ね、父の倍以上も生きることになった自分の人生にひと区切りつけたいという思いが、にわかに高まってきた。