2020年2月4日夜、トランプ大統領が米議会で一般教書演説を終え、大きな拍手が沸き起こった。トランプ氏の後ろに立って拍手するマイク・ペンス副大統領の隣で、民主党のナンシー・ペロシ下院議長が目の前の原稿を手に取ると、カメラを意識するように、大胆に4回に分けてそれを半分に引き裂き、机の上にポンと放り投げた。
演説中も「そうじゃない」とつぶやく
その様子を生中継していた米各ネット局のニュースキャスターらに動揺が走った。NBCニュースではふたりのキャスターの間でこんなやりとりが交わされた。
「Wait!(ちょっと待って!)」 「いや、驚きましたね。ナンシー・ペロシ氏がどうやら大統領の演説の原稿を破いたようですね」 「Wow!(まあ!)先ほど彼女が握手しようと手を差し伸べましたけど、気づいていなかったのかどうか、トランプ氏は握手しませんでしたね。彼女がトランプ氏を紹介した時にも、普通ならan honor and a privilege(名誉かつ光栄なこと)という表現を使いますけれど、そうは言いませんでしたね」
ペロシ氏が手を差し伸べた瞬間、トランプ氏は演説するために背を向けたので、握手の手が見えなかった可能性もある。
共和党寄りのFOXニュースも、演説が終わると驚きを隠せない様子で、まずそのことに触れた。
ペロシ氏は破いた理由について、「Because it was the courteous thing to do, considering the alternatives.(他の選択肢よりは、礼儀正しい対応だったからよ)」と記者たちに語り、議会をあとにした。
一般教書演説(State of the Union Address)とは、大統領が国の現状について見解と、直面する主要課題を述べる格調高いもの。時に拍手やスタンディングオベーションによる意思表明はあるが、野次やブーイングは行われない。今回のテーマは「偉大な米国の復活」だった。
大統領は通常、議会に出席できないが、この日は議長より特別の招待を受ける。その下院議長が、ペロシ氏というわけだ。副大統領は上院議長を兼ねており、演説する大統領の後ろの議長席に2人が並んですわる。
トランプ氏の弾劾裁判が行われていたのが、まさにこの議場だった。
一般教書演説の翌日、ペロシ氏は非公開会合で、トランプ氏の演説は「うそだらけで汚らわしい」と激しい口調で非難。「彼は真実を引き裂いたから、自分はその原稿を引き裂いた」と話したという。
トランプ氏は、議会に一般国民を招待した。それ自体は珍しいことではない。そのひとり、ラジオ・トーク番組の司会者で超保守派のラッシュ・リンボー氏には、その場で大統領自由勲章を授与した。
ほかにも、ホームレスと麻薬依存の過去を乗り越え、成功した黒人ビジネスマン、奨学金を手に入れて大喜びする黒人のシングルマザーと娘などが招かれた。アフガニスタンに駐留する士官をサプライズで呼び、妻と娘たちと涙の再会という場面もあった。
トランプ氏は演説のなかで、規制緩和や減税、雇用創出など、就任中に実施した経済政策を挙げ、経済的成功は前政権の失敗を覆した成果と強調した。教育や医療でも、就任以来の自分の業績を称えた。
演説中にペロシ氏は何度も、「So untrue (そうじゃない)」とつぶやいていたようだ。
「見ていて爽快」「相当焦りがあるはず」
テレビで一般教書演説を見たというニュジャージー州トレントン郊外に住むニコール(20代)は、「ペロシの原稿破りは、見ていて爽快だった」という。
「オバマの功績をまったく無視して、好景気を自分の手柄にし、医療を破壊しているのは自分なのに、民主党のせいにしている。演説が始まる前から共和党議員たちが『4 more years!(あと4年!)』と連呼して、まるで支持者集会よ。招待した人たちのお涙頂戴の演出もテレビのバラエティ番組みたいで、選挙戦に利用しているのが見え見えだわ」
一方、トランプ支持者らはそろって、「ペロシは子供じみている」「米国と国民に対する侮辱だ。辞職すべきだ」「トランプの舞台を最後で全否定し、自分のものにすり替えた」「招待された人たちの思いをも引き裂いた」と厳しく批判している。
次期大統領選挙でもトランプ氏に投票するというジョージア州コロンバス在住のマックス(30代)は、「トランプの言うことに誇張はあっても、うそはない。でも少しくらい誇張があったって、それが何だっていうんだい? 国民のためにやるべきことをやってくれれば、それでいい。あの演説を聞いて心を動かされないアメリカ人がいるなんて、信じられないね」と首を傾げる。
マックスはトランプ氏の再選を信じているという。「ペロシもそう思っているから、行き場のない怒りをぶつけるんだ。民主党アイオワ州党員集会の結果確定が遅れるわ、トランプ弾劾も実現しないわ、相当焦りがあるはずだ」。
FOXニュースの司会者ローラ・イングラハム氏は、一般教書演説の翌日、自分の番組でこう語った。
Last night she showed the world who she really is....A white suit didn't make her look more angelic. It was the color of surrender. (彼女は昨晩、自分の本当の姿を世界に見せつけました。白いスーツを着ていても、天使のようには見えなかった。あれは「降伏」の色でした。)
事前に原稿に切れ目を入れていた映像
トランプ氏がこれまでに何度もフェイクニュースと批判してきたCNNでは、「事前に計画していたわけではなく、あの瞬間に衝動的に怒りをぶつけたんでしょう。でも(トランプ氏の)演説は偽りだらけですから、その理由は十分にあります」とニュースキャスターが伝えた。
しかし、その後、NBCはスローモーションで、一般教書演説中、原稿を破る前のペロシ氏の様子を公開した。トランプ氏が、ゲストのリンボー氏を紹介し始めた時だった。
リンボー氏が末期の肺癌と診断され、「家族とともに苦しみのなかにある」と話すトランプ氏の後ろで、ペロシ氏が、目の前の原稿を何枚か手に取って机の下に隠した。
そして、目をそらし、原稿の真ん中辺りに手で切れ目を入れると、また元に戻したのだ。あとで失敗せずに破くための準備をしていたようだ。
トランプ支持者からは、「NBCもたまには真実を報道するのね」「ペロシ氏はトランプの再選を助けているようなものだ」と皮肉の声が寄せられた。
一方、民主党支持者のなかには、ペロシ氏の今回の行為をトランプ氏への強い挑戦の意志と捉え、「よくぞやってくれた」と称賛する、あるいは少なくとも共感する人が多い。が、中には、彼女が同党の象徴的な存在であるだけに、複雑な思いを抱く人もいる。
ノースキャロライナ州グリーンズボロに住むジョナサン(50代)は、「僕はトランプが好きではないけれど、今回のペロシ氏の原稿破りはトランプと同じように、品性に欠く行為だ」とし、批判的だ。
トランプ氏は、一般教書演説をうまく利用し、少なくとも共和党支持者らの心をつかんだという手応えを感じているようだ。弾劾裁判の無罪も確定し、株価は最高値を更新。支持率は過去最高の49%だ。
ペロシ氏のスーツの白は、FOXニュースの司会者が言うように、降伏を意味することになるのか。結果が出るのは、8カ月後に迫っている。 (随時掲載)
++ 岡田光世プロフィール
おかだ・みつよ 作家・エッセイスト
東京都出身。青山学院大卒、ニューヨーク大学大学院修士号取得。日本の大手新聞社のアメリカ現地紙記者を経て、日本と米国を行き来しながら、米国市民の日常と哀歓を描いている。米中西部で暮らした経験もある。文春文庫のエッセイ「ニューヨークの魔法」シリーズは2007年の第1弾から累計40万部。2019年5月9日刊行のシリーズ第9弾「ニューヨークの魔法は終わらない」で、シリーズが完結。著書はほかに「アメリカの家族」「ニューヨーク日本人教育事情」(ともに岩波新書)などがある。