今年の春、25歳の若者が人生の新たなスタートを切る。プロ野球の日ハムに2019年まで所属していた森山恵佑氏(25)だ。
森山氏は昨年9月に球団から戦力外通告を受け、野球人生に幕を下ろした。幼いころから野球に親しみ、高校、大学とトップレベルで活躍し、夢のプロ野球選手となったものの、わずか3年でプロ生活に終止符を打った。25歳にして第二の人生を歩むことになった森山氏が今後、目指すものとは...。J-CASTニュース編集部は森山氏に話を聞いた。
星稜高時代には「ゴジラ2世」の愛称が
小学5年生で本格的に野球を始めた森山氏は、富山県内の公立中学に進学し軟式野球部に所属した。当時は投手を務めており、左の本格派としてならした森山氏に、中学3年生の時に野球人生を大きく変える転機が訪れる。石川県の名門・星稜中と練習試合を行い、森山氏はノーヒットノーランを達成した。森山氏の中学生離れした投球を目の当たりにした星稜中の関係者が森山氏をスカウトし、森山氏は星稜高へと進学する。
星稜高ではエースで4番。投手としてはMAX144キロをマークする剛腕として名をはせ、打者としてもスラッガーとして注目を浴び、高校の先輩・松井秀喜氏の愛称を継承し「ゴジラ2世」と呼ばれた。高校の3年間で甲子園出場はならなかったが、星稜高時代に人生においてかけがえのない出会いを果たす。のちに日ハムでチームメイトになる現MLBエンゼルスの大谷翔平(25)との出会いだ。
高校2年の春、星稜高は岩手・花巻東高と練習試合を行った。森山氏は星稜高の4番。大谷は花巻東高のエースとしてマウンドに上がった。結果は大谷の前に森山氏が4打数4三振。「球が速くてバットにまったく当たりませんでした」と森山氏は振り返る。
大谷は高校卒業後に日ハム入りし、森山氏は専大に進学する。専大の2年時に投手として限界を感じ、野手に転向したという。そして2016年のドラフト4位で日ハムに指名され念願のプロ野球選手となった。
森山氏がプロ入りした時には、大谷にはすでに「雲の上の存在」だったという。話しかけるにも気が引けるような大スターで、森山氏にはとてもまぶしく見えた。機会を見つけて大谷に話しかけたところ、大谷は高校時代の森山氏との対戦を覚えていたという。「4年以上も前のことなのに、僕のことを覚えていてくれたことが本当にうれしかったです」と、森山氏は当時を振り返りながら目を細める。