HKT48の田中美久さん(18)が2020年1月23日、都内で初めての単独コンサートを開いた。HKT48のメンバーが単独コンサートを開くのは、18年1月の指原莉乃さん(27=19年卒業)に次いで2人目。
19年1月のコンサートで「莉乃ちゃんの後を引き継ぐ」と宣言して1年。田中さんはグループを離れている盟友・恩師にちなんだ楽曲を次々に披露し、間奏では手紙を読み上げて感謝の気持ちを伝えた。
くまモンも駆け付け、同郷・森高千里さんの楽曲を...
コンサートでは、2時間弱をかけてアンコール含めて計24曲を披露した。冒頭、田中さんは艶やかな和装でステージに登場。生バンドで「千本桜」を歌ったのに続き、和風にアレンジされたHKT48の楽曲「12秒」を熱唱した。田中さんは熊本県出身で、同郷の森高千里さんの楽曲「この街」「私がオバさんになっても」をセーラー服姿でカバー。サプライズゲストとして、熊本県営業部長兼しあわせ部長の「くまモン」も駆け付けた。アンコール明けには、故郷への思いを込めて自ら作詞したソロ曲「わたしのふるさと」を歌い上げた。
田中さんは12歳、小学校6年生だった13年11月に3期生として劇場デビュー。同期の矢吹奈子さん(18)と「なこみく」として知名度を上げ、18年5月発売の「早送りカレンダー」では「なこみく」でダブルセンターに。同6月の選抜総選挙で10位にランクインし、初めて上位16人の「選抜」入りした。そんな中で同9月には矢吹さんと宮脇咲良さん(21)が2年半にわたって日韓合同ユニット「IZ*ONE(アイズワン)」の活動に専念するためにHKT48としての活動を休止することが決まり、同12月に指原さんが卒業を発表。結果的に田中さんが「グループの顔」という重責を担うことになった。20年1月19~20日には、AKB48グループの楽曲をランキング形式で発表する恒例のコンサート「AKB48グループリクエストアワーセットリストベスト50」が行われ、田中さんがセンターの「ロマンティック病」が1246曲中1位に選ばれたばかり。AKB48グループでの存在感も増している。
盟友・恩師いなくなって「これまでにはなかった怖さやプレッシャー」
田中さんは19年1月に福岡市で開かれた若手メンバーによるコンサートで、
「莉乃ちゃんの後を引き継いで、HKT48を今よりも、もっと盛り上げていきたいと思います!」
などと決意を述べていた。この「後継宣言」から1年。コンサート中盤では、矢吹さんらに向けたメッセージがつづられた。田中さんは、矢吹さんのソロ曲「いじわるチュー」、宮脇さんのソロ曲「夢でKiss Me!」、兒玉遥さん(23=19年卒業)のセンター曲「大人列車」、指原さんのセンター曲「ジワるDAYS」を次々に披露し、間奏で手紙を読み上げた。
矢吹さんには「距離が離れても、心の中にはいつもなこがいます」「なこみくは永遠だよ」と呼びかけた。田中さんは宮脇さんと会うたびに「みくりん大丈夫?」と心配されていたといい、「帰ってきた時、もう『大丈夫?』って聞かれないくらい強くなってます!」と決意表明。兒玉さんへの手紙では、かつて兒玉さんが背負った「エースの重圧」への心境を吐露した。
「ずっとグループの先頭を走っていてくれた、はるちゃんの気持ちが、今になってほんの少しだけ分かるような気がしています。今まで前に立ってくれていたメンバーがいなくなって、これまでにはなかった怖さやプレッシャーを感じるようになりました」
「これからもずっと、なこみくのお母さんでいてください」
指原さんは、田中さんにとっては「お母さん」のような存在だ。
「私も莉乃ちゃんみたいな大きな愛を持った素敵な大人になりたいです。これからもずっと、なこみくのお母さんでいてください」
このタイミングで単独コンサートが実現できたことを「すごくありがたくて...」と話す田中さん。田中さんには「HKT48がどんどんどんどん変わっていく中で、すごい不安というかモヤモヤした気持ちもあった」が、同時に「こうやって自分が頑張る時だし、悲しみ続けちゃいけないな、という時」。20年春に専用劇場が開設されるなど、HKT48には大きなイベントが控える。田中さんは今後への決意を新たにしていた。
「このコンサートを通して、また、もっともっと頑張っていかなきゃ」
(J-CASTニュース編集部 工藤博司)