張本勲氏、同世代・高木守道さんを偲ぶ 「プロ野球史のベストナインを選べと言われたら...」

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   「ミスタードラゴンズ」とも言われ、中日の監督も務めた高木守道さんが2020年1月17日、急性心不全のため名古屋市内で死去した。78歳だった。

   同世代で、互いにしのぎを削り合った野球評論家の張本勲氏は、19日に放送されたTBS系情報番組「サンデーモーニング」で「残念だねぇ...」と、悔しい胸の内を明かした。

  • ありし日の高木守道さんを偲んだ張本勲氏
    ありし日の高木守道さんを偲んだ張本勲氏
  • ありし日の高木守道さんを偲んだ張本勲氏

通算2274安打、守備では「バックトス」の名手

   張本氏は1940年生まれの79歳。高木さんは1941年生まれで、1960年に岐阜商から中日へと入団した。通算出場2282試合、2274安打、236本塁打、369盗塁、生涯打率は2割7分2厘。押しも押されもしない成績で、2006年には野球殿堂入りを果たした。また、同球団の監督を2度務めるなどで「ミスタードラゴンズ」と呼ばれた。

    数字では表せないのが、高木さんの守備のうまさだった。二塁手としてボールをキャッチすると、グラブに入った状態でボールを遊撃手に離す華麗な「バックトス」をたびたび見せた。以降、「バックトス」は高木さんの代名詞ともなり、当時の子どもたちは、バックトスから併殺を獲る高木さんのプレーに憧れ、よく真似をしていたものだった。

   同じ時代を歩んできた張本氏は開口一番、

「残念だねぇ...」

と胸中を吐露した。

   張本氏は、高木さんが中日の監督だった時に臨時打撃コーチを頼まれ、アメリカのキャンプに帯同したこともあったという。高木さんを振り返った張本氏は、

「ほとんど、しゃべらない。日本男児というか、無口な人だった。だけど義理堅いし、筋は通すし...。プロ野球史は80年近くありますけど、ベストナインを選べと言われたら(二塁手では)1番に選びますよ」

   さらに続けて、

「攻走守(そろっていた)。しかも、ホームランも打てる。いい選手だったけどね。早すぎるよ...」

と、1歳年下の高木さんとの思い出を語った。

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