「荒ぶる 吹雪の逆巻く中に...」
早稲田大学ラグビー部の「第二部歌」である「荒ぶる」が、真冬の令和に初めてこだました。
2020年1月11日、ラグビー大学選手権決勝。新しくなった国立競技場で行われる、初めてのラグビーだった。45-35。早大が、永遠のライバル明治大を破っての11年ぶりとなる優勝だった。
レジェンド日比野先生「人生で男が涙を流して喜べるっていう時は、そんなにない」
2019年12月1日に行われた伝統の早明戦(東京・秩父宮ラグビー場)で、早大は明大に7―36の大差で敗れた。ここ10年以上、帝京大に9連覇を許すなど、伝統と呼ばれたチームは「もう勝てないのか...」とまで言われた。しかし「赤黒軍団」は、5万7345人の観客の前で、見事に復活を遂げた。
早大ラグビー部の第一部歌は「北風」と呼ばれる。「北風のただ中に、白雪踏んで」というフレーズで歌い出す。これは試合前のロッカールーム、新入部員を迎え入れる時など、要所で歌い継がれてきたものだ。
しかし「荒ぶる」の意味合いは、違う。
早大ラグビー部OBで、同大名誉教授、元日本代表で同監督も務めた日比野弘氏(85歳=以下、先生)は、かつて筆者に対してこう語った。1950年から歌い続けられたという「荒ぶる」について、
「『誰がこうせい』って決めたわけじゃなくて、自然に皆で『優勝して、この歌を歌おう』と。強要されないで、自然に作られて。それが、守られてきたことが素晴らしい」
実は筆者も、早大ラグビー部OBである。毎年の夏、長野県上田市の菅平高原で、40泊近い合宿を行った。激しい試合やハードなトレーニングの日々で、年次を問わず、徐々に選手が離脱していく。そんな中、生き残った選手だけが「ダボスの丘」と呼ばれる小高い山に登り、人知れず練習することを許された歌だった。
当時の思い出を辿ると、いわゆる「楽譜」のようなものはなかった。ダボスの丘の上で、女子マネジャーが模造紙に書いた歌詞を読みながらメロディーを覚え、それを後輩に伝えていく...という、不思議なものだったことを記憶している。
日比野先生は、あらためて語った。
「人生において、男が涙を流して喜べる時は、そんなたくさんはない。でも『荒ぶる』を歌えるのは、そういう時だね...」
JRFU清宮副会長「一生の絆、青春の証」
実際、1997年の大学選手権決勝戦で明大に敗れた筆者の代は「荒ぶる」を歌うことを許されていない。冠婚葬祭、いろんなことがあったけれども、第一部歌である「北風」でしか、その場を締めくくれない。
少々、大げさだが、学生時代に負った「十字架」を一生、背負い続けなければならない。優勝した代は「荒ぶる」を謳歌でき、準優勝以下に終わった代は「北風」しか歌えないのだ。
日本ラグビーフットボール協会(JRFU)の清宮克幸副会長(早大元主将、同元監督、ヤマハ発動機元監督)も「荒ぶる」について、次のように語ったことがある。
「普通にやっても勝てない相手、届かないものに対して、創意工夫や独自性を発揮する。また厳しい鍛錬によって、手が届かないものを奪いに行く。『荒ぶる』を獲りに行くことが一生の絆だし、青春の証。それが早稲田のDNAだと定義している」
令和初となる大学王者となった早大ラグビー部選手たちへ――。本当に、おめでとう! そして、ありがとう...。23年前の大学選手権決勝で、不甲斐なく負けてしまったOBとして、「荒ぶる」を歌えたあなたたちを、心から誇りに思います。
(J-CASTニュース編集部 山田大介)