2019年は、日本国中がラグビー色に染まった年となった。
アジア初開催となったW杯日本大会の盛り上がり。そして2020年、今後のラグビー界が進むべき道。これを探るため、J-CASTニュース編集部は、ラグビー界の「大御所」日比野弘氏(以下、日比野先生)に取材した。
「大御所? にわかファンと同じだよ」
まず、日比野先生の人となりについて説明しよう。1934年、東京都出身。地元だった都立大泉高を経て早稲田大に入学。ラグビー部では1年からウイングとして活躍した。後に日本代表、早大監督、日本代表監督、早大名誉教授、日本ラグビーフットボール協会(JRFU)理事、同会長代行...。御年85となられ、70年近く日本ラグビーに携わってきた御仁は、日比野先生をおいて他に見当たらない。
取材をお願いすると、二つ返事で、
「いいよ。ただ、今はまったくの隠居だから、的確な話ができるかね...。大御所? にわかファンと同じだよ」
と、冗談交じりに笑った。試合は4戦(ロシア戦、スコットランド戦、南アフリカ戦、決勝戦)を、関係者の計らいで現地観戦したそうで、
「本当に素晴らしいものを見せてもらって、非常にうれしかった」
と、満足そうな笑みを浮かべた。
ご存じない方も多いかもしれない。実は、日本は2011年W杯の招致に立候補していたのだ。結果、落選し、開催地はニュージーランドとなった。この時、大会招致の陣頭指揮を執ったのが、JRFU会長代行だった日比野先生だったのである。
「2011年にW杯を招致しようということで、いろいろと立ち上げたんだよ。でも、それがもし通っていたら...エラいことになっていたんじゃないかなって。代表強化、資金面、運営面...。今、思えばすべてが準備不足だった。怖さ知らずで、随分なことをやったと思う。でも、それ(招致失敗)が今回、かえって良かったのかな」
今大会の成功は「ケガの功名」だった...。おそらく、日比野先生にしか話せないエピソードを、苦笑いを交えながら語ってくれた。