「私も大変困った立場に立つことになろう」
報告書はA4用紙5枚。上記引用部分は1~3枚目で、その大半が中曽根氏の秘書官を務めていた長谷川和年氏の著書『首相秘書官が語る中曽根外交の舞台裏』(朝日新聞出版、2014年)に
「また、胡耀邦も稲山さんとの会談で次のように言っている」
という書き出しで紹介されている。この書籍に紹介されていない報告書の4~5枚目には、胡耀邦氏の危機感がさらに強くにじむ。参拝の形式を変えても効果はなく、今後の参拝を中止しない限り、胡耀邦氏の立場が危うくなることを訴えている。
(引用ここから)
また、靖国参拝を要求している人びとは、日本の中でもそんな数ではない。それは
・遺族 数千人にすぎない。
・一部この問題は日本が諸外国の国民感情を害しているのではなく、中国、南朝鮮が日本の国民感情を害していると唱えている人びと。しかし、これらの人びとはもっと高い見地で、これは日本のイメージを傷つけていることをみてとることができない。
では、双方の言分を通す方法はないのか。私はあると思う。
8月15日に靖国神社ではなく、別の所で、それには金が少しかかるかも知れないが、靖国の式典よりもっと盛大なものをやり、戦犯を含めない戦争の犠牲者、愛国の士を追悼し、平和への祈願を行えば、要求は満たされるのではないか。
中曽根さんが断固として靖国に行かず、しかも別の所でもっと立派なものをやれば中曽根イメージは高まることであろう。
逆に、一昨年は行き、昨年はいかず、今年はまた行くとなると、そのイメージは大変悪くなり、一昨年の時よりさらに強烈な反応が出てくるであろう。そうなると、総書記と言えども、何にも言うことはできず、私も大変困った立場に立つことになろう。
以上は中国の国民感情を大切にする立場からではなく、日本の政府、首脳の世界におけるイメージを守る立場から述べた。
(○稲山先生: 参拝の方式を変えても靖国で行うなら誤会(編注:「誤解」の誤字だとみられる)はまぬがれないと理解してよいか)
○その通りである。例えば、西ドイツで、もし靖国と同じような場所があり、そこでたとえヒトラーを除いても、もし戦没者の慰霊祭をやったとしたら全世界の抗議にあうであろう。幸いに西ドイツには靖国がないが。
我々は歴史を尊重し、全世界の人民の歴史に対する感情に注意しなければならない。第二次大戦はまだあまりにも生なましい記憶が残っている。体験者もまだ多く生きている。200年後になればさほど問題にならないかも知れないが。従ってこれらの問題の対処は慎重の上にも慎重な態度が必要である。
中国はまだいいが、モスコアは、デマをまきちらすであろう。輿論づくりは上手だから。
私はかねがね誰かこの問題について、つっこんで話し合いたいと思っていた。公式な場で私が言う訳にはいかない。だから、今日この問題の話と聞いたので30分ではたりないから一時間にしてもらった。稲山先生に感謝している。
(引用ここまで)
結局、胡耀邦氏は1987年1月の政治局拡大会議で総書記を解任。中曽根氏は前出の「正論」のインタビューで、かつての盟友を「ひどい目に遭った」と思いやった。
(J-CASTニュース編集部 工藤博司)