胡耀邦総書記の失脚リスクを伝える報告書も...
中国の反発はこの後も収まらず、86年には公式参拝のみならず、参拝そのものの断念に追い込まれる。背景にあるとみられるのが、中曽根氏とは良好な関係にあった胡耀邦総書記の失脚リスクだ。この懸念を伝える報告書も、「中曽根文書」に含まれていた。
中曽根氏は稲山嘉寛・経団連前会長が「日本食品技術総合展示会」への出席名目で86年7月に訪中した際、靖国問題で中国側と接触するように頼んでいる。中曽根氏は「正論」2001年9月号のインタビューで、当時の様子を次のように明かしている。
「稲山さんはいろいろ話したんです。帰国する前日の朝6時頃、宿舎に知日家であった二人の要人が来て厳粛深刻な表情で、 『靖国の公式参拝は是非やめてほしい。そう中曽根総理に伝えて下さい』 と、いったんですね。そのときに稲山さんは、靖国問題が胡耀邦総書記の進退に影響が出そうだという暗示を受けた。あの頃、改革政策をすすめる胡耀邦さんは保守派の要人から非難され始めていた。(中略)胡耀邦さんと私とは非常に仲が良かった。兄弟分みたいな関係にあった。そこで私が参拝すると、胡耀邦総書記追い落としの原因をつくったようなことになるかもしれない。そういう暗示を受けたな。それで胡耀邦さんを守らなければいけないと思った。それもあってやめたんです」
当時の中国側の「暗示」を示したとみられる報告書が、一連の中曽根文書に含まれていた。報告書は手書きノートのコピーで、報告書が入った封筒には、手書きで
「靖国問題に関する中国側見解の報告(後藤田官房長官あて)」
「稲山嘉寛訪中団」
「昭61年7月21日」
とある。文書の冒頭には
「閣下より二つの問題が提起されている。それにつき私見を述べる前に一つ確認したいことがある。中曽根首相とは現在でも良い関係にあるのか。(稲山先生 肯定的な返答をする」
「私は個人的に中曽根さんと友好的な関係にあり、中曽根さんが望むなら今後長期にわたって個人的友好関係を保ってゆきたい。友達であれば本心を語るべきで、うそは言うべきでない。また友達は互いに助け合うべきで、相手を困らせるべきでない」
とあり、胡耀邦氏本人か、胡耀邦氏のメッセンジャーにあたる人物の発言を、稲山氏の随行者が記録したとみられる。