「人生、死んでしまいたいときには下を見ろ。俺がいる」
「若い方には、『挑戦は愚か者がすることだ』と思っている方が多いように感じます。であるがゆえに、今の日本は閉塞感に満ちています。ただ、日本社会自体も悪いんですよ。何せ、1回でも失敗したら、一般的な道を外れて生きていかなければならない社会ですからね。でも、アメリカのシリコンバレーでは、『挑戦すること自体が価値』『挑戦しないことはデメリット』という発想が横溢していますからね。ダイナミズムがありますよ。翻って、閉塞感が強い日本で暮らしている若い方には、是非、現在公開中の私のドキュメンタリー映画『M/村西とおる狂熱の日々 完全版』を見ていただくことで私みたいな者の存在を知り、そこから何かしらのヒントを得ていただければと思います」
ただ、挑戦には失敗が付き物なのは周知の事実。しかし、村西さんにしてみれば、失敗を恐れること自体が実に愚かなことだという。
「人生なんて、その全時間の99%は失敗の連続です。うまくいっている時なんてのはほんの1%ぐらいの時間です。やれどもやれども失敗の連続。当然、途方に暮れてしまいます。そんな時、力になるのは、決してIT長者のサクセスストーリーなどではありません。あんなのは宝くじの1等賞に当たるようなもので、全く参考になりません。では、どうすれば良いか? それは、『とんでもない人生を歩んでいる人』がいることに気付けば良いのです。そう、考えてみてください。例えば自分が病気になった際に、『もっとひどい病気で苦しんでいる人だっている』と。さらに考えてみてください。自分が1000万円の借金を背負って絶望の淵にいる時に、ふと横を見てみると、『借金50億円を背負った男がパンツ一丁でAVを撮影している』と。どうでしょう? そうすれば、『あんなオヤジに比べれば、俺の方がまだまだマシだ』と、元気をもらえるでしょ。そうです。映画のポスターにも書きましたが、『人生、死んでしまいたいときには下を見ろ。俺がいる』と。つまり、私の存在意義は、『絶望の中にある人が村西とおるという人間の存在を知ることによって奮起できる』というものだと思うのです。この、私のドキュメンタリー映画をご覧いただいて、感じることは人によって違うとは思いますが、それでも、あの作品を見ていただければ、『世の中にはこんなに愚かな奴がいるのか!』という驚きがあるでしょう。そこから先、どのように感じていただくかはそれぞれでしょうけどね」
何だか、聞いている記者本人のテンションが上がってきた。併せて村西さんは、「限界」などというものはあくまで主観的なものであり、得てして、人間は自らを「悲劇の主人公」として認識しがちであるがゆえに、何事に対してもポジティブな考えを持ち続けるべきだと説いたのだった。
なお、2019年は8月に「全裸監督」が公開されたが、11月には映画「M 村西とおる狂熱の日々」が公開された。同作は村西さんが借金50億円を背負ったあと、それを返済すべく撮影に奮闘する1996年の姿を描いたものだというが、今後、村西さんの2000年代の姿が描かれる可能性はあるのだろうか。
「もちろん、あります。私の所業はとかく『前代未聞』という四字熟語と共に語られることが多いわけですが、『こんな人間がいたのか!』という驚きを、自らの命尽きるまで世の中にお伝えしてきたいと思っていますからね。まあ、私のような人間が存在しているその理由とは、やはり、世の人々に『生きるエネルギー』や『情熱』をお届けすることだと思うのです」