そぼ降る雨とともに、令和初の師走が、涙色に染まった――。
2019年12月13日、41歳の若さでこの世を去った大相撲の東関親方(元前頭潮丸、本名・佐野元泰さん)の告別式が19日、東京都葛飾区柴又の東関部屋で、しめやかに営まれた。
日本相撲協会・八角理事長、「無念だったことと思います」声を詰まらせ...
前日18日の通夜に続き、日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)を葬儀委員長とし、協会理事や一門の枠を超えた親方衆、関取衆や、故人とゆかりのあった鈴木宗男参院議員ら約500人が参列。先代の東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さんら、多数の高砂部屋OBも弔問に駆け付けた。
八角理事長は、
「15歳で力士となり、親方として10年間...師匠として弟子を育て、相撲協会としてもさまざまな役割を果たしてきました。さぞ、無念だったことと思います...。あなたの誠実な人柄に、私もほれ込んで、ひと回り若いあなたに相談して、言葉に救われました。残念です...。残念で...なりません......。本当に、お疲れさまでした」
時折、声を詰まらせながら、涙ながらに弔辞を読んだ。
高見山のしこ名で親しまれた先代親方は、両杖をつきながら部屋に向かった。75歳の「ジェシー」さんにとって、41歳の「潮丸」は息子同然に思っていたことだろう。時より、言葉もなくうつむきながら、完治しない右膝を気にした。
東関親方こと佐野さんは、静岡市出身。関係者によると、
「(静岡県は)サッカーでは有名だけど『関取』は約60年近く輩出できていなかった。(佐野さんは)子供の頃から野球をやっていて、エースで4番だった。体も大きく、運動神経に長けていたので、先代らがスカウトしに行ったそうだ。頭もよく、何でもキチンと理解できる子だった」
豊ノ島関らも弔問、振分親方は位牌を手に涙...
ほかの一門からも、多くの関係者が訪れた。時津風部屋(時津風一門)で、佐野さんのよきライバルだった十両の豊ノ島関は、
「自分自身、勝った相撲ですけど、僕が初めて幕内で大勝ちした時に当たってね。それも、つい、この間のように感じますし...残念です」
現役時代は「ロボコップ」の愛称で親しまれ、現在は東関部屋の「部屋付き」親方として後進の指導に当たっている振分親方(元小結高見盛)は、時折、天を仰ぎながら、涙を拭いた。位牌を手に、再び涙空を仰いだ。
佐野さんの戒名は、師匠として率いた部屋名の一部、本名から「大優院東元泰善居士」と付けられた。告別式終了後、遺体を乗せた霊柩(れいきゅう)車は、部屋がある葛飾区内の四ツ木斎場に向かい、荼毘(だび)に付された。
(J-CASTニュース編集部 山田大介)