1987年生まれの鉄道ファンが、「国鉄時代」をうらやましく思う理由

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   2019年11月29日、中曽根康弘元首相が亡くなった。鉄道ファンのツイートを見ると、中曽根氏の業績の一つである「国鉄民営化」をめぐる意見が飛び交っていた。

   しかし、筆者のように国鉄を知らない世代にとってはピンと来ない話題かもしれない。今回は国鉄を知らない筆者が国鉄をうらやまましく思う点を自由に書いていきたい。

  • ブルートレインのはしりである寝台特急「あさかぜ」は東京と下関・博多を結んだ
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  • 国鉄末期に登場した185系も引退を迎える
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キーワードは全国規模のサービス網

   筆者は1987年5月生まれのため「国鉄を知らない」世代である。一方、鉄道ファンになった1990年代は国鉄時代の「名残」が数多く残っていた。令和になり「名残」が消えゆく中で、改めて国鉄を羨ましく思う点について述べていく。

   国鉄にあってJRにないサービス、それはJR各社の壁を超えた全国規模のサービスだ。特急列車では東京~九州間のような長距離ブルートレイン(寝台列車)が多数、運行されていた。昼行の特急列車でも「白鳥」(大阪~青森)などの長距離列車があり、博多と大分・西鹿児島(現鹿児島中央)を結んでいた「にちりん」は下関までの直通運転を実施。東海道本線下りのダイヤを見ると、国鉄時代は東京~静岡間、東京~大垣間のような長距離を走る普通列車が定期列車として運行されていた。

   民営化後は本州と北海道を結ぶ寝台列車は運行されたものの、在来線では複数のJR会社をまたぐ列車は大幅に減少した。「サンライズエクスプレス(東京~高松・出雲市)」を除き定期の夜行列車はすべて姿を消し、東海道本線下り、東京を発車する定期運行の普通列車は沼津までだ。新幹線は次々に開業したが、並行在来線の多くは第三セクターとなり、ぶつ切り状態の「本線」も多い。このように見ると、全国を比較的自由に列車が走り回っていた国鉄がうらやましい。

Cカードにも「見えない壁」があるけれど

   国鉄は北海道から九州までの路線を運営していたので、全国共通ルールのトクトク切符が存在した。その代表例が周遊券である。周遊券は全国をゾーンごとに分割。分割されたゾーンごとに周遊券が販売され、ゾーン内はJR線の乗り降り自由。特急・急行自由席も追加料金なしで乗車できた。また、最寄駅から各ゾーンまでの往復きっぷも割引が適用された。

   筆者は小学生ときに「周遊券」の後継「周遊きっぷ」を1度だけ利用した。自由度の高さと全国共通ルールというわかりやすさが印象に残ったが、「周遊きっぷ」は2013年に廃止された。現在、大半のトクトク切符はJR各社ごとに販売されており、各切符のルールの理解に苦労する。また、SuicaやICOCAなどのICカードは「エリアまたぎ」ができず、JR各社の境界には見えない壁が立ちはだかっているように感じる。国鉄が販売していたシンプルな全国共通ルールのトクトク切符がうらやましい。

(フリーライター 新田浩之)

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