2019年10月4日の日米同時公開前から、「現実の暴力を誘発する」と懸念され、話題になっていた「Joker(ジョーカー)」。
トランプ大統領はこの映画が気に入ったようだ。2019年11月16日夜、ホワイトハウスで上映会を実施。家族や友人、一部のスタッフが参加した。
トーク番組司会者マーレイ・フランクリン役でこの映画に出演しているロバート・デ・ニーロは、上映会の実施を知ると不満げだったという。「この政権はジョークだ。早く終わることを願うばかりさ」。
デ・ニーロはこれまで何度も公の場で、ときには放送禁止用語を使って「あいつはクソだ」、「アホだ」、「豚だ」、「この国の恥だ」などとトランプ氏を激しく非難。躊躇することなく怒りをぶつけてきた。
トランプ氏がこの映画を気に入った理由は、「デ・ニーロがジョーカーに殺されるから」と揶揄する声も聞かれる。
ホワイトハウスで家族やスタッフと上映
ゴッサムシティ(ロケ地はニューヨーク)に住む大道芸人のアーサー・フレック(ジョーカー)は、コメディアンになることを夢見る心優しい白人男性。本来は人を笑わせたいのに、人に笑われるばかりだ。
子供の頃に受けた虐待により精神を病み、笑ってはいけないときに笑いがこみ上げてしまい、繰り返し誤解を受ける。自らカウンセリングにかかりながら、同居する母親の介護もしている。
真面目に働いているが、不良少年らに商売道具を引ったくられて暴行され、護身用の拳銃を小児病棟で仕事中に落として解雇される。地下鉄で証券マンたちに暴力を振るわれ、相手を射殺してしまう。
市の衛生局職員のストライキで、街にはゴミが散乱し腐臭を放つ。上流階級の生活に変わりはないが、貧困層は暴力的になり、アーサーが起こした事件をきっかけにデモが活発化する。その後もアーサーに失意や悲劇が重なり、悪に満ちたジョーカーへと変貌していくさまが残虐に描かれている。
ホワイトハウスの上映会について知った私の知人のジョナサン(40代、ニューヨーク市在住)は、この映画を観に行ったが、残忍すぎて途中で立ち去ろうかと思ったという。
ジョナサンは吐き捨てるように言う。「法や秩序とは無縁なトランプを支持するのは、アーサーのような男だ。アーサーはトランプ自身でもあるから、この映画を気に入るのは当然だろう。どんな悪や狂気でも、熱狂的で愚かな連中に祭り上げられれば、この国の大統領になってしまうんだ。デモに参加する暴徒は、トランプを支持する白人極右のようだ」。
「アーサーがトランプと思わず重なった」
米国ではジョナサンのように、アーサーや、アーサーの凶行に刺激を受けて暴徒と化す市民を、トランプ氏やトランプ支持者と重ねる人が少なくない。トランプ支持者のなかには、いつのまにか主流から社会の底辺に押しやられ、「忘れ去られた」と感じている白人も多い。アフリカ系アメリカ人や移民は、「affirmative action(積極的差別是正措置)」などで自分たちより優遇されている、と怒りを抱く人もいる。
映画の最後のほうで暴徒が街にあふれるシーンは、白人至上主義者の極右団体のデモや、マッチョな白人男性の姿も目立つトランプ支援者の集会を思い起こさせるというわけだ。
自分を笑い者にした、憧れの人気コメディアンでトーク番組司会者のマーレイ・フランクリンを、アーサーが殺害。逮捕後、護送中のパトカーに救急車が突っ込むと、暴徒たちがアーサーを救出し、ボンネットの上に横たわらせる。
このシーンについて知人のジョナサン(前出)は、「意識が戻ると立ち上がり、燃えたぎる炎をバックにアーサーが踊り出したとき、世界を狂わせながら悦に入るトランプと思わず重なった」という。
「Occupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)」
しかし、トランプ支持者でキリスト教福音派のジョアン(60代、フロリダ州タンパ郊外在住)は、まったく違う捉え方をしている。
「映画は残酷で直視できない場面も多かったけれど、あのシーンでイエス・キリストの復活を連想したの。そしてそれが、トランプ氏と重なった。マスコミは彼を叩き、誰も勝利を信じなかったけれど、社会を転覆させた。大統領になってからも非難され続け、弾劾の危機にさらされながらも立ち上がり、社会から忘れ去られていた人たちを救った。彼の言動には賛成できないこともあるけれど、支持者にとってヒーローであることに変わりはない」
一方で、アーサーも群衆も「左派」という、まったく逆の見方もある。アーサーは市の財政難によって社会福祉プログラムを打ち切られ、カウンセリングを続けられなくなる。トランプ氏はアーサー側ではなく、ジョーカーに撃ち殺されるマーレイや、実業家で政界に打って出るトーマス・ウェインの側の人間だ。以前、テレビのトーク番組を持っており、実業家だったトランプ氏を思わせる。
街に繰り出す暴徒は、2011年9月17日にニューヨーク市ウォール街で始まった「Occupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)」と呼ばれる草の根の抗議デモと重なる。若者を中心とする参加者は公園に寝泊まりし、経済格差の解消を求めて富裕層への課税強化などを訴えた。
極左による反トランプのデモにも似ている。映画のなかで暴徒の一部は、反ファシズムのプラカードを掲げている。これは現実にアメリカ各地で行われる反トランプのデモで、私自身、何度も見かけた。
「極左は極右ととてもよく似ている」
16歳の息子とこの映画を観に行ったというサミー(50代、ニューヨーク市在住)は、「弱者を社会から疎外し、経済格差をよしとする「トランプのアメリカ」の今を、見事に表現している」と話す。
「Bowling for Columbine(ボウリング・フォー・コロンバイン)」や「Fahrenheit 9/11(華氏911)」などのドキュメンタリー映画で知られるマイケル・ムーア監督も、こうした見方をしているひとりだ。「It's about the America that gave us Trump.((この映画は)私たちにトランプをもたらした、アメリカそのものだ)。見捨てられた人たちや貧しい人たちを助ける必要がないというアメリカを、卑劣かつ裕福な人間がより卑劣に裕福になるアメリカを、だ」と語っている。
ムーア氏は言う。「わが国は今、深い絶望のなかにある。憲法はズタズタに裂かれ、クイーンズ出身の狂気の悪党(トランプ氏)は核兵器の発射を決断できる。それなのにどういうわけか、この映画を恐れるべきだという。私は正反対の提案をする。あなたがこの映画を観に行かないとしたら、社会にとって大きな危機になるかもしれない」
左派やマスコミは公開前からこの映画について、「白人至上主義で、白人男性の暴力や、トランプを生んだ白人男性の怒りを正当化している」と批判してきた。
これに対し「ジョーカー」のトッド・フィリップス監督は、「そう感じるのは、左派がいつも何かに怒っているからだ」、「自分たちの言い分を通そうとするとき、極左は極右ととてもよく似ていることがわかったよ」と反論している。
極左の怒りは、「ポリティカリー・コレクトになり過ぎていることにある」と、フィリップス氏は感じているようだ。「何を言っても問題発言にされてしまっては、何も言えなくなってしまう」とインタビューで話している。
何についての映画なのか。政治的なのか、そうではないのか。それは観る人が決めることだ。この映画のテーマは「A lack of empathy(共感の欠如)」というフィリップス氏の言葉は、極右、極左、富裕層だけでなく、私たちすべてに投げかけられているに違いない。(随時掲載)
++ 岡田光世プロフィール
おかだ・みつよ 作家・エッセイスト
東京都出身。青山学院大卒、ニューヨーク大学大学院修士号取得。日本の大手新聞社のアメリカ現地紙記者を経て、日本と米国を行き来しながら、米国市民の日常と哀歓を描いている。米中西部で暮らした経験もある。文春文庫のエッセイ「ニューヨークの魔法」シリーズは2007年の第1弾から累計40万部。2019年5月9日刊行のシリーズ第9弾「ニューヨークの魔法は終わらない」で、シリーズが完結。著書はほかに「アメリカの家族」「ニューヨーク日本人教育事情」(ともに岩波新書)などがある。