死去の中曽根康弘氏、101年の生涯 青年将校から風見鶏、大勲位、そして「暮れてなお命の限り蝉しぐれ」の心境へ

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引退後も政治に発言を続けた

   引退後も、世界平和研究所の会長として影響力を残し、引き続き憲法改正に取り組むとともに、『自省録-歴史法廷の被告として』(新潮社、2004年)、『日本の総理学』(PHP新書、2004年)、『保守の遺言』(角川書店、2010年)、『わたしがリーダーシップについて語るなら』(ポプラ社、2010年)、『中曽根康弘が語る戦後日本外交』(新潮社、2012年)など、回顧録やリーダー論を精力的に出版、自らの業績を正確に歴史に刻印しようと努めた。

   2011年以降は、首相時代も含む直筆のメモや書簡なども含む政治活動の記録を、国会図書館に寄託。2018年7月の毎日新聞記事によれば、「出したくない」ものの扱いを尋ねた秘書に「いいところだけ出すと、ゆがみを生ずる。全部出さないと公正な判断ができない」と話したという。国会図書館憲政資料室のウェブサイトにその目録が公開されている。

   90歳を過ぎても「昔と同じように志は天下にある」と、現実政治に発言を続け、15年8月には読売新聞に長文を寄稿。先の大戦を「やるべからざる戦争であり、誤った戦争」と総括。同12月には東シナ海や南シナ海の緊張緩和のため常設機関を設置すべしという「東アジアの海洋安全保障に関する中曽根提言」を発表した。

   「青年将校」などと呼ばれ、「武人」のイメージが強かったが、古今の古典を読み、俳句や絵を描くことが趣味。事務所の椅子の背後には、カントと仏陀の像を置き、後ろからカントと仏陀が見守っている、そういう気持ちを自分でつくっている、と明かした。12年8月、サンデー毎日で細川護熙元首相と対談したときは、「最近の政治家には個人の人生観、世界観といった心情に関する言動がない。修行がないためでしょう」と嘆いた。

   このとき94歳。「今の境地を一言で表現すると、どんなお気持ち」と細川氏に聞かれると、「暮れてなお 命の限り 蝉しぐれ」という心境ですな、と答えた。この句は、かなり以前に詠んだものだが、最晩年になっても、「生涯現役」の気迫とエネルギーを保ち続けたことを示していた。

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