「亡くなった人のつぶやきなどは、その人が残していったかけがえのない痕跡」
一方で、ツイッターが今後考えなければならない課題点にも触れた。
「SNSで追悼のページといえば、フェイスブックが一番有名と思うが、フェイスブックは本名での登録が前提のサービスなので本人同定がしやすい。一方ツイッターではもともとチームアカウント、例えば、若い子らだと彼氏彼女で同じアカウントにする、法人さんが〇〇株式会社のアカウントを取ったり、例えば私が死んだ後に遺族が、古田のアカウントチームとしてやることも認めていたりする。では、その中の1人が亡くなった時に、そのアカウントは『死んでいる』のか。そうした規定が難しい」
ツイッターの特性にも触れた。古田氏は、「アカウントを取る時、フェイスブックに比べると、個人情報を提供する部分が簡素。電話番号やメールアドレスが必要ですが、本名を求めるわけではなかったりする。そういった時に、例えば、Aさんが亡くなったとして、このアカウントは絶対Aさんのものと後から裏付けるのがすごく大変」と指摘する。
ツイッターは今後、どうしていったらよいのだろうか。たとえば、持ち主が亡くなったアカウントを「追悼アカウント」とするような方法も考えうるが、古田氏は、「ユーザー任せで追悼(アカウント)にいくらでもでき、もしも間違いだったり引き継ぐ人がいたりしたら復活できます、といった可逆的なサービスにすると、追悼の意味合いも薄れてくると思う。そのあたりのハンドリングが今後の命運を握るのではないか」と説く。一方、「本人が本当に亡くなっていなく、いたずらで『追悼申請』をする人は、2度と申請ができないようにするなど、何かしら柔軟な、かつ公平な仕組みをつくらないと普及しないのでは」と話していた。
SNS上における「故人アカウント」の意義とは――。古田氏はツイッターが最初に掲げた方針に触れたうえで、このように語った。
「ツイッターの最初の間違いは、『休眠アカウント』と『放置アカウント』、いわゆる捨てアカ(編注:捨てアカウント)を一括りにしていて、故人の更新が止まっているアカウントと同一視してしまったこと。亡くなった人のつぶやきなどは、その人が残していったかけがえのない痕跡。アカウント自体はもう二度と更新されることはないとしても、1年に1回命日に、最後の投稿に対して、『お前は死んでもう1年』や『2年だな』などとコメントをする、見る人がいる、アクセスする人がいるし、アクセスをしなくても残したページが存在するだけでも価値がある。データだから置き換えが可能という議論もあるが、その人が生前から使っていた場所という意味ではかけがえのないものになる」
(J-CASTニュース編集部 田中美知生)