1988年ソウル五輪のベン・ジョンソンから世界的話題へ
「ドーピング」という言葉が世間で広く知られるようになったのは、おそらく1988年に開催されたソウル五輪の陸上競技男子100メートル決勝あたりからだろう。カナダの英雄だったベン・ジョンソンと、米国のスーパースターであるカール・ルイスによる世紀の決戦。スタートが得意なジョンソンは、ブロックを一気に蹴りだす「ロケットスタート」で発進。一方のルイスは、188センチの長身を生かしたストライドで後半に追い込むスタイルだった。
結果、ジョンソンが「9秒79」という驚異の世界新記録で金メダル。ルイスも後半に追い込んだものの、ジョンソンにはわずかに届かなかった。ところが...。その数日後、ジョンソンの尿から禁止薬物である「スタノゾロール(ステロイド剤の一種で、筋肉増強剤として使用されていた)」が検出された。ジョンソンは身の潔白を主張したが、結論は覆らず、金メダルははく奪。世界記録も取り消され、ルイスが繰り上げで金メダルとなるなど、「五輪の華」と言われる陸上男子100メートルでは、最悪の結末となってしまった。
こういった事態を重く見た国際オリンピック委員会(IOC)を始めとした国際機関は、1999年にWADAを設立。競技の垣根を超え、「アンチドーピング」に取り組んできた。しかし...。ロシアの「ドーピング包囲網潜り抜け」は、そのさらに上を行った。