ラグビー元日本代表主将の廣瀬俊朗氏(38)が、2019年11月13日、東京・丸の内で転職情報サイト「doda」によるイベント「SPORT LIGHT Academy」に登壇した。大成功を収めた「ラグビーW杯2019日本大会」を振り返りつつ、自身とラグビーとの出会いや成長などについて語った。
「何で、行かなあかんねん...」
廣瀬氏は、大阪府吹田市出身。両親は、ともに教師という厳格な家庭で育った。そんな廣瀬氏は、5歳の時、両親の勧めで無理矢理、ラグビースクールに入れられたのだそうだ。当時を振り返り、
「日本って、4月スタートじゃないですか。でも、僕がチームに入ったのは10月でした。子供ながらに、すでに(チームの)コミュニティーができていたので、最初は嫌だった。(練習のある)日曜日の朝は(テレビ)アニメを見たかったから。『何で、行かなあかんねん...』って、思っていましたね」
そんな廣瀬少年は、どうやってチームに溶け込めたのか?
「子どもって、自分の家族とか学校とか、コミュニティーが100%って思いがちじゃないですか。でも、ラグビースクールは、いろんな小学校の子が同じチームにいる...っていうところ。『いろんな子がおんねんな...』って感じましたね。そこを、肌感覚で知ることができたのが、よかったのかなと思います」
そんな廣瀬氏は、地元の公立中に入ってもラグビーを続けた。大阪は、福岡県と並んでラグビーが盛んな地域である。全国高校ラグビー大会(東大阪市・花園ラグビー場)にも、大阪からは毎年、3チームが出場する。これはラグビー人口の多い東京、大阪から2校、加えて開催地である大阪から第3代表が選出されるという仕組みだ。中学時代を振り返り、
「平日は学校でラグビー、週末はチームで練習していました。『週7』でやっていましたね。でも大阪のミナミのチームは(皆さんの)イメージ通り怖くて...。言葉でもやられた」
ラグビー漬けの青春だった。
そんな廣瀬少年も、高校受験を迎えた。「ラグビーがしたい」という思いで、地元の名門校である大阪工大高(現在は常翔学園高)、そして、橋下徹元大阪市長も輩出した、進学校である大阪府立北野高を受験した。両方、受かった。
選んだのは、北野高だった。ここでも主将を務めた。しかし、念願の花園出場は叶わなかった。それでも、廣瀬氏はあきらめなかった。