闘将・リーチ マイケルが「怖がったモノ」 エピソードから見る意外な素顔

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   「リーチ!!」。その男がボールを持つたび、会場中にコールが沸き起こった。「ラグビーW杯2019日本大会」は、2019年11月2日に閉幕。中でも、日本代表主将を務めたリーチ マイケル選手がボールを持つたびに、スタジアムのあちこちから「リーチ!!」という大声援が飛んだ。

  • 高校時代は「オバケが怖い…」と言っていたリーチ主将だが、ラグビー日本代表をW杯初の「8強」へと導いた
    高校時代は「オバケが怖い…」と言っていたリーチ主将だが、ラグビー日本代表をW杯初の「8強」へと導いた
  • 高校時代は「オバケが怖い…」と言っていたリーチ主将だが、ラグビー日本代表をW杯初の「8強」へと導いた

高校時代、「オバケ、怖い...」

   リーチ選手は、ニュージーランドの大都市クライストチャーチ出身。15歳の時に交換留学生として来日し、北海道・札幌山の手高に入学した。ホームステイ先となったのは、寿司店を営む森山修一さん、久美子さん宅の2階。15歳のリーチ少年は当時、178センチ、70キロ(31歳の現在は189センチ、105キロ)で、日本の高校生と大差ない体つきだったという。

   森山夫妻曰く「当時、日本語はまったく話せなかった」と言い、就寝時には、ベッドから見える天井に「ひらがな」の大きなポスターを貼り、眠りにつくまで勉強したそうだ。そんなリーチ少年は、森山夫妻との温かい生活の中で、すくすくと育っていった。

   今でこそ「世界屈指のタックラー」として、その名をとどろかせるリーチ選手だが、高校時代のラグビー部同期が、かつての取材でユニークなエピソードを紹介してくれた。合宿での夜、皆でホラー映画を見ていた時のことだった。同期部員曰く、

「『呪いのビデオ』みたいな作品を見ていて。それで見終わって解散になったんですけど、(リーチ)マイケルが『トン、トン』って部屋のドアをノックしてきて。『オバケ、怖い...。一緒に寝て』」

と隣室に枕を持参し、一緒に寝た...という面白話を語っている。

   またリーチ選手はインタビューで、他に怖いモノを挙げ、

「高いとこ。(東京)スカイツリーとか、嫌い。死ぬ確率が、こっちの方が...(高い)」

......。

   どう考えても「オバケ」より「スカイツリー」より、リーチ選手のタックルを受けた選手の方が一番「死ぬ確率」が高いだろう。

   リーチ選手は、自身の低く突き刺さるタックルに関して、

「チーターが鹿を捕まえに行くようなイメージ。『ガッ!』って。(タックルに行くのは)怖い。でも数をやりこむしかない。数をやれば自信になる」

と話している。

「何も手につかない。練習も勉強も身に入りません...」恩師が語った恋愛事情

   そんなリーチ少年は日々の鍛錬の甲斐もあり、メキメキと頭角を現した。しかし...。高校2年生になったある時、異変が訪れた。

   高校時代の恩師である佐藤幹夫監督が、かつてのインタビューでこう語っていた。

「秘密の話なんだけど、もう解禁だと思うんで。マイケルが高2の時、『先生、何も手につかない。練習も勉強も身に入りません...』って言ってきたんですよ。どうしたのかな? って思ったら、1つ年上のバスケットボール部の先輩に恋しちゃったらしい」

   「初恋」だった。

   憧れの先輩と「同じ大学に行きたい」と佐藤監督に直訴したが「お前では無理だ」と、一刀両断された。また、ショックを受けた。豪快なプレーでファンを魅了する反面、恋愛では「トライ」も「タックル」もまったく決められないリーチ少年だった。

   リーチ少年は高校を卒業後、東海大に入学。入学してほどなくレギュラーを獲得し、大活躍を果たした。ここで出会ったのが、現在の奥さまである知美(さとみ)さんだ。しかし、ここでもリーチ選手の「奥手」ぶりがうかがえた。知美さんによると、

「最初に『好きです』って言ってくれたのは、マイケル。その後って普通、『付き合おう』っていうふうになるじゃないですか? でも『練習が忙しい』とかで、まったく言ってこなかった。だから(シビレを切らした)私の方から『付き合ってください』って言いました」

   大舞台で、あれだけのタックルを見せてくれたリーチ主将も、やっぱり人の子なんだな...とホッとするエピソードの数々である。

(J-CASTニュース編集部 山田大介)

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