富士山でニコニコ生放送を配信していた男性の可能性がある遺体が見つかったが、過去には、1キロほど滑落してもケガで済んだケースも、数件報じられていることが分かった。
中には、2キロも滑落した人もいたという。生死を分けたものは、何だったのだろうか。
谷間に吹きだまりとなった雪がクッションの役割
男性は、2019年10月28日に山頂付近で足を滑らせ、滑落したような跡が見つかった7合目付近で、2日後に遺体は見つかった。標高差は、約800メートルあった。11月5日夕時点で、静岡県警が身元の確認中ともみられている。
過去の新聞記事をデータベース上で調べると、数百メートルの滑落は珍しくなく、中には1キロを超えるケースもあった。
その多くが死亡例だったが、富士山でも、1キロを超えて滑落しても、奇跡的に助かったケースが報じられていた。
1992年11月24日には、山頂付近から突風にあおられて滑落した男子大学生が、静岡・御殿場側の6合目を過ぎたところで1日経って救出された。1週間の軽傷で済んだという。静岡新聞などによると、1キロ滑落しても助かったのは、谷間に吹きだまりとなった雪がクッションの役割を果たした。山岳部のパーティーで参加して、冬山の装備もしており、ビバーク(緊急的な野営)したり、非常食を食べたりしていたそうだ。
また、1996年5月11日には、会社員男性が静岡県側の9合目を過ぎたあたりを下山中にアイスバーンで足を踏み外し、約1キロ滑落した。しかし、右足首を骨折するケガで済んだという。単独の登山だったが、目撃者がアマチュア無線で助けを求めていた。
50年前には、約2キロも滑落し、重体となった人も
さらに、2006年12月4日には、別の会社員男性が9合目付近で突風を受けてバランスを崩し、7合目付近まで約1キロ滑落した。胸の骨を折るなどの重傷を負ったが、命に別状はなかったという。登山仲間と登っており、この仲間が110番通報していた。
新聞記事のデータベース上にはないが、過去には、なんと約2キロも滑落したケースもあったらしい。
筑波大学のサイト上に掲載されている水理実験センター報告の第2号(1978年)では、林陽生、泉耕二両氏の「富士山遭難記録表」が大学スタッフの切り抜いた新聞記事12年間分(1964~75年)の滑落例などをまとめている。
それによると、1969年3月23日には、9合目から2キロ下の5合目にある山梨県側のツバクロ沢まで2人が滑落した。1人は死亡し、1人は重体だった。その後の生死は記事だけでは分かっていないようだ。なお、1キロ滑落してケガで済んだケースは、68年と70年の2例あった。
12年間で滑落事故は50件あり、雪崩が多い他の山とは対照的に、突風や強風によるケースが最も多い。また、冬山訓練が度々行われる11月の事故が飛び抜けて多かった。御殿場口や吉田口から山頂に向かうルートは、「ツムジ地帯」「突風地帯」と呼ばれる地点が点在しており、航空機の墜落事故も多いという。男性が滑落したのは、その中間点ぐらいの山頂付近だった。
地元・富士宮山岳会の工藤誠志会長は、「1000メートルぐらい転落して助かったケースは、ツバクロ沢などでたまにありますね。柔らかい雪に軟着陸して助かったということだと思います」とJ-CASTニュースの取材に話す。男性の場合は、11月に入る前の岩が露出したりしている時期で、雪もまだ十分に積もっていなかったのかもしれない。
(J-CASTニュース編集部 野口博之)