ラグビーW杯優勝、南アフリカの強さの原点を築いた「1人の男」

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「人種なんて、関係ない」

   アパルトヘイト(人種差別、隔離政策)が長く続いた南アでは、イギリス発祥のラグビーは白人のもの、黒人は裸足でサッカーをするだけ...という社会的構図があった。アパルトヘイトは国際的非難を浴び、W杯には1987年(初開催)、1991年(第2回)には出場できなかった。

   しかし、1990年にネルソン・マンデラ元大統領が27年間の投獄から釈放。人種の壁撤廃の動きが始まった。このとき南ア・ラグビー界を変えようとしたのが、白人のフランソワ・ピナール主将(当時)だった。「人種なんて、関係ない」。黒人選手も交えた最強の「スプリングボクス(南アの愛称)」を作り上げたのだ。それは今回の優勝の原動力となったディフェンス中心のチーム作りだった。

   そしてアパルトヘイトが撤廃された後の1995年、南アで開催されたW杯で、ニュージーランド「オールブラックス」を破ってのW杯初優勝。世界中のラガーマンに「尊敬する選手は?」と取材すると「ピナール」と答える選手が多いのも事実である。ピナール氏も、今回の決勝舞台に駆け付け、南アの選手たちに声援を送っていた映像が、テレビで映し出されていた。

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