2017年5月に在クウェート日本国大使から旅券返納命令を受けたのは憲法違反・違法などとして、命令の取り消しや損害賠償を求め、東京都足立区のアルバイト女性(32)が2018年11月、国を相手に訴訟を起こしていたことが、原告や代理人への取材で分かった。
女性はブルガリアやトルコを旅行して帰る予定だったが、経由先のクウェート空港で、持っていたスマートフォンに「ISIL(IS、いわゆる『イスラム国』)戦闘員の写真が保存されている」などの理由から拘束される。国外退去強制処分を受け、「再入国禁止」とされ、旅券を没収された。
だが女性側は「ISILと何の関係もありません」と主張。J-CASTニュースの取材に原告は「私のことを普通の人間にして」と訴える。
「危ないところや危険地域に行く気は本当になかった」
女性は、17年5月16日に経由先のクウェート空港に到着。着いた後、直面した出来事を振り返った。「日本人の男3人に連れていかれたのが別室。別室には何人かいたけど、クウェートの女性が一番印象に残っている。『携帯出せ』と言われた」。
スマートフォンの中にISIL戦闘員の写真が保存されていたことなどを理由として、同月19日、退去強制処分を受け、「再入国禁止」の措置を取られた。しかし女性などによれば、これらの写真はインターネット上で入手したもの。また女性は陳述書で「クウェートの官憲から、どの写真がそれに該当するのかという説明はありませんでした」などと主張している。取材に対しても、「危ないところや危険地域に行く気は本当になかった」と強く否定する。
さらに女性は、日本大使館の人物にクウェート空港の別室へ連れていかれ、5月19日午前1時を返納期限とする旅券返納命令を受けた。出された命令書には、
「当国クウェートにおいて、貴殿の所持する携帯電話にISIL戦闘員の写真が保存されていること等から、ISILと関与のある人物として拘束された後、国外退去強制処分を受け、『再入国禁止』の措置が付されたことにより、旅券法第13条第1項第1号に該当する者となり、その結果、同法第19条第1項第2号に規定する『一般旅券の名義人が、当該一般旅券の交付の後に、第13条第1項各号のいずれかに該当するに至った場合』と判断されるに至ったため」
とつづられている。
旅券法では、「渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者」などについて、旅券の返納を命ずることができると定められている。
女性は日本に強制送還され、帰国した。
渡航前にも外務省職員に囲まれた
原告の職業はアルバイト。報道関係者などではなく、中東への渡航歴もない。だが、原告などによると事の原因は、あるイスラム法学者からアラビア語を習っていたことだったとみられるという。
女性は高校を卒業後、06年ごろに外国語専門学校へ入学。高校時代からアラビア語に興味があり、入学してアラビア文字を練習するためのノートを買って独学を試みたが、挫折した。学校では、スペイン語や英語を学んだ。07年ごろ中退したが、英語の勉強は続けていた。08年ごろに旅券を取得。海外の文化に触れようと何度も海外旅行を経験し、韓国やアメリカ、カナダなどに行った。旅行を通じ、文化や現地の人々に触れる喜びを学ぶことができたという。
11年ごろから再びアラビア語への興味を持ち、テキストなどを購入した。
以前から、このイスラム法学者の存在は知っていた。女性はこの法学者を「アラビア語ができる有名な人」として認識。「日本で1番アラビア語に詳しい人」だと考え、15年9月ごろにツイッターを通じてコンタクトを取り、個人的に教わるようになった。
レッスンを受けたのは、4~6回。女性は、「主にカフェで勉強していました。『どの辺住んでいるんですか』など、そういうところまでは話さなかった。1人の先生という認識しかしていない」と法学者との関係を振り返る。教わり始めてから約3カ月後、知り合いから「あまり接触を持たない方がいいのでは」などとアドバイスを受け、レッスンをやめた。学者とは、16年1月ごろに関係は切れた。
女性は16年7月ごろから、イスラエルやトルコへの旅行を計画。イスラエルまでの航空券を購入し、17年1月に成田空港から出国することにした。出発日当日、成田空港に行くと外務省の職員がいた。職員からは「何のために渡航するのか」と質問された。解放はされたがイスラエルに入った後、別室で英語による取り調べを受けた。「観光目的で来た」と何度も説明しても納得はしてもらえなかった。質問では、イスラム法学者との関係を聞かれたこともあった。イスラエルへの入国は拒否された。
その後、ブルガリアのソフィアや、トルコのイスタンブールへの旅行を計画し、17年5月15日ごろ成田空港から出国することにしたが、空港で外務省の職員とみられる十数人に囲まれ、渡航先や渡航経路、電話番号やSNSのIDなどを教えるように言われた。女性はインスタグラムのIDを教え、解放されたという。
成田空港から、アラブ首長国連邦のアブダビ国際空港を経て、ブルガリアのソフィア、トルコのイスタンブールへ向かうことを予定していたが、成田空港での出来事を受け、アブダビ国際空港に到着後、今後の旅行をどうするか考え直した。一旦は渡航を中止して帰国しようと考え、日本に帰る航空券を購入。だが、帰国をやめ、予定通り旅行を続けることにした。
女性はアブダビ国際空港からクウェートを経由し、オランダからブルガリアに行くチケットを購入し、クウェート空港に向かった。最も値段の安いブルガリア行きの航空券を取り直したところ、偶然にも渡航先にクウェートが含まれていたという。だが、クウェート空港で取り調べなどを受け、旅券返納命令が出されたのは前述の通りだ。
原告側は外務省の「情報提供」訴える
原告の女性は、2018年11月、旅券返納命令の取り消しなどを求めて、訴訟を起こした。
問題となった画像について、原告側は「(女性は)ISILとは何の関係もなく、日本人2名がISILに拘束されて身代金の支払いを要求された頃に、日本や海外において、インターネット上で流行したISILに関する図像をコラージュして発表することが流行した際に、原告も関心を持って、ISILの戦闘員などの画像を大量にスマートフォンで収集していたことがあり、それがそのまま保存されていたことから、クウェート国の官憲がその画像を問題にしたものと考えられる」などと主張し、「在クウェート日本国大使においては、旅券法13条1項1号に該当するかどうかを慎重に判断する必要があった」と指摘。「旅券法13条1項1号に該当するとして、直ちに、同法19条1項2号により旅券返納命令を発していると考えられ(中略)在クウェート日本国大使による本件処分は、その判断の基礎とした事実関係に事実の基礎を欠くものとして、その裁量権を逸脱又は濫用するもの」と論じている。
代理人の山下幸夫弁護士は、取材に対して、旅券法13条第1項第1号に該当することが「取消事由で旅券返納命令を出す理由になりうるが、絶対そうしないといけないわけじゃない」と語り、「取消事由だから、取り消すかどうかは日本側の裁量。今回、ISIL戦闘員の写真があったからといって、接触したことになりません」と否定する。
また原告側は、「通常、入国審査において、所持しているスマートフォンに保存されている画像のことが調べられる訳ではない」などと指摘。「外務省の職員が、原告が日本を出国する際に、渡航先を質問して聞き出した上で、その後、当初の予定を変更してクウェートに向かったことを認識しているようである」とした上で、「外務省の職員が、クウェート政府側に、事前に、原告について情報提供をしていたことから、クウェートの官憲が、原告のスマートフォンを調査することになった可能性がある」などと訴え、「外務省による自作自演」と主張する。
一方の国側は、全面的に争う姿勢を示している。準備書面で国側は、
「原告に海外渡航を認めなければならない特段の事情があるとはいえず、本件処分に在クウェート日本国大使の裁量権の逸脱又は濫用があるとはいえない」
「(旅券)法13条1項1号は、飽くまでも、『渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者』と規定しているのであって、かかる規定ぶりからしても、同号は渡航先の判断の当否を問題としていないことは明らかである。また、実質的に考えても、渡航先の当局が行ったその国の出入国管理に関する判断の当否を我が国の外務大臣等が判断することは主権国家の原則からしても不適切である」
「クウェート国は、本件処分当時、ISILによる暴力的過激主義の問題を抱えていた中東諸国に位置する国の一つであるところ、原告は、同国に赴くに当たり、自己の携帯電話(スマートフォン)にISIL戦闘員の写真を保存していたというのである。これらの事情をも踏まえると、クウェート国が、原告の携帯電話(スマートフォン)におけるISIL戦闘員の写真等から原告とISILとの関係を疑い、国外退去処分を検討すること自体無理からぬ状況にあった」
「クウェート国が行った再入国禁止措置が付された国外退去処分を根拠として行われた本件処分について、裁量権の逸脱又は濫用があるということはなおさら困難である」
などと主張し、反論している
原告側が主張する「情報提供」については、「外務省職員がクウェート国政府に対して原告に関する情報を提供した事実はない」と否定する。
海外渡航の自由「簡単に制限していいものではない」と主張
もう1つ論点になっているのは、国側が踏んだ手続きについてだ。原告側は、「在クウェート日本国大使が、理由提示や聴聞・弁明の機会を一切付与しなかったのは、行政手続法の趣旨、目的やその瑕疵の程度、内容から見ても、極めて重大な手続的瑕疵であるというべき」などとした上で、「違法」などと展開している。
行政手続法第13条1項1号では、行政庁が不利益処分をしようとする場合、意見陳述のための手続きを執らなければならない、などと定めている。告知聴聞の手続きは、旅券返納命令を出す際には原則、必要とされている。原告側は訴状でも、在クウェート日本国大使が旅券返納命令の処分をしたことについて、「不利益処分に告知聴聞手続を求める憲法31条に違反する」と言及している。
一方の国側は、行政手続法13条2項1号の「公益上、緊急に不利益処分をする必要があるため、前項に規定する意見陳述のための手続きを執ることができないとき」に当たるとしており、「ブルガリア、トルコ等への渡航の意思を依然として有していたことは否定できない」「原告が、出国時における外務省職員に対する申告内容を変更し、かかる地にあえて赴くこととなったこと自体、旅券返納手続きの告知・聴聞を待っていては、旅券返納手続を完遂すること自体が危ぶまれる状況にあった」などと主張。
これに山下弁護士は取材に対し、「何の告知聴聞もしてなくて、いきなり旅券返納命令が出ている。向こうは、別の国に渡航して、どこに行ったかわからなくなるから緊急というが、緊急性はない。写真はネットで取ったもので、(戦闘員と)接触していませんなどと、いろんな反応ができた」と訴える。
また、山下弁護士は、「ごく普通の人が何かの拍子に疑われる」ことで、旅行できなくなってしまうことは、「非常に恐ろしい」と危惧する。「海外渡航の自由は憲法上の権利だが、いとも簡単に取り上げられてしまう。簡単に制限していいものではない」。
識者と外務省の見解は?
同志社大学法学部の尾形健教授(専門は憲法)は、J-CASTニュースの取材に対し、次のように指摘した。
「海外渡航の自由の意味にかかわるが、行きたい所に行って会いたい人と会うことは、人の精神的自由の側面も含むと考えられる。精神的自由については、萎縮効果を懸念しないといけない。こういう規制が自分にも及ぶから行動するのは差し控えようとか、表現するのはやめようという効果が非常に出やすい自由と考えられていて、海外渡航の自由についても同じことが言えるのではないか。ジャーナリストの方であれば危険を顧みずに行く場合もあるかもしれないが、旅行を趣味でされている方にとっては、まさに萎縮効果が働いてしまう可能性があるので、そういった観点も踏まえて、行政の裁量の統制を裁判所にはしっかりしてほしい」
告知聴聞の手続きについては、次のように言及する。
「行政手続法には、緊急を要する場合は意見陳述の手続きを省略することを認める規定があって、旅券返納命令を受けたフリーカメラマンの杉本祐一さん(編注:外務省から受けた返納命令の取り消しなどを訴訟で求めた。一、二審は棄却され、18年3月に敗訴確定)の裁判では、その点が争われたが、裁判所は緊急性が認められると判断した。いまパスポートを戻しておかないと、渡航予定を繰り上げて出国する可能性があった、ということのようです。確かに旅券の性格上、緊急性の場合には告知聴聞を省略せざるを得ないのはある程度わからなくはないが、しかるべき告知聴聞の手続きを踏むのが大原則」
J-CASTニュースでは10月21日、外務省旅券課首席事務官にも取材を試みた。担当者は、「個別の案件にはお答えできない」などと答えるに留めた。
次回の裁判は、12月17日14時から。東京地裁で、原告女性本人への尋問が予定されている。