沖縄県那覇市の首里城公園で2019年10月31日未明に火災があり、沖縄県のシンボルのひとつでもあった正殿などが全焼した。
歴史的に見れば、首里城は消失と再建を繰り返してきた。今回全焼した正殿は1992年に国営公園整備事業の一環として復元されたもので、政府は再建に向けて「全力で取り組んでいきたい」としている。復元後も漆の塗り方や、瓦の色などについて研究が進んできた。
2019年2月に公園整備が完了したばかり
首里城は琉球王国の中心的な城で、政治・文化の中心だったが、1660年と1709年に焼失。1712年から15年にかけて再建され、1879年に「沖縄県」になった後も日本軍の駐屯地などに使われてきた。1925年には正殿が国宝に指定され、1930年代に大規模修理も行われたが、1945年の沖縄戦で跡形もなく焼失。跡地には琉球大学のキャンパスが設置された。
その後、琉大が那覇市の北東にある西原町に移転し、復元事業が本格化。1992年に正殿を始めとする首里城公園が開業し、2000年に「首里城跡」を含む「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」が世界遺産に登録された。19年2月に「御内原(おうちばら)エリア」がオープンし、公園全体の整備が完了したばかりだった。
今後は再建のあり方が焦点になりそうだ。菅義偉官房長官は19年10月31日午前の会見で、
「首里城は国営の沖縄記念公園における施設であり、再建に向けて、政府としては全力で取り組んでいきたい」
などと発言。那覇市に隣接する浦添市の松本哲治市長は
「非常に残念ですが、時間は巻き戻せません。早速、首里城復興・再建に向けた基金ならびに募金活動の準備を行うよう副市長および関係部長へ指示しました。前を向いて歩いていくしかない。頑張りましょう!」
とツイートで呼びかけた。
屋根瓦の色にも新たな知見が
首里城公園の復元整備は、「1712~戦前までの首里城」をモデルにしているが、1992年の正殿復元後も「かつての姿」に関する研究は進んでいる。2018年11月には、2年3か月をかけた正殿外部の漆の塗りなおしが完了。開園以来、部分的な塗りなおしは行われてきたが、全方位を同時期に塗り直したのは初めてのことだ。公園事務所の発表資料では、
「開園当時より研究が進み、より琉球王国時代に近い工程と技法によって塗り直しの作業が行われました。塗り直し等のメンテナンス作業はこの先も定期的に行い、伝統的な技術を後世に残すため、職人の人材育成も進めています」
と説明している。
べんがら色(朱色)で復元されていた正殿の屋根瓦の行方も注目だ。沖縄戦で焼失した正殿を復元しようとした際は白黒写真しか残っておらず、色を決めるのに難航。焼失前を知る人にヒヤリングしたが、「黒」「灰色」「赤」など諸説が飛び出したという経緯がある。
それから20年以上経った2014年の「新発見」が、再建に影響する可能性もある。消失直前のカラー画像の存在だ。太平洋戦争の資料収集に取り組む市民グループ「豊の国宇佐市塾」(大分県宇佐市)が、米国の国立公文書館から購入・分析を進めていたフィルムの中に写っていたのだ。1945年4月下旬~5月上旬ごろ、日本軍の拠点を攻撃する米軍の爆撃機から撮影されたとみられ、本殿の屋根瓦は黒く映っている。こういった新たな知見をどのように反映させるかも議論になりそうだ。
(J-CASTニュース編集部 工藤博司)