緒方貞子さん死去、92歳 元難民高等弁務官、世界の紛争地に足運ぶ

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   国際政治学者として上智大学などで長く教え、国連人権委員会日本政府代表、国連難民高等弁務官など国連機関でも活躍した緒方貞子さんが2019年10月22日、死去した。92歳だった。かつて理事長を務めた国際協力機構(JICA)が29日、発表した。

   アフガニスタン復興支援国際会議共同議長なども務め、悲惨な紛争現場に足を運んで国際貢献や援助問題で力を尽くした。国内外にハイレベルな人脈を持ち、高い識見とバランス感覚、深いヒューマニズムで信頼を得ていた。近年の日本女性では最も厄介な国際的難題に立ち向かい、重責を果たした人だった。世界各地から、緒方さんを悼む声が寄せられている。

  • 2013年5月の緒方貞子さん(C)UN Photo/Rick Bajornas
    2013年5月の緒方貞子さん(C)UN Photo/Rick Bajornas
  • 2013年5月の緒方貞子さん(C)UN Photo/Rick Bajornas

市川房枝さんに頼まれた

   1927年、東京生まれ。曽祖父は犬養毅首相。祖父は元外交官で外務大臣。父も外交官。幼少時は父の赴任先の米国や中国ですごした。曽祖父が5.15事件で暗殺されたときは4歳で、米国にいた。

   小学校4年の時に帰国し、初めて日本の学校に通う。聖心女子学院の専門学校に入り、戦後の新学制で聖心女子大の一期生に。米国人の女性学長に大きな影響を受け、カトリック教徒になった。同級生30人の中には、のちにイタリア文学者となった須賀敦子さんもいた。半数がのちに留学したという。

   緒方さんもまず米国のジョージタウン大へ。そのあと、カリフォルニア大学バークレー校の大学院で外交政策決定過程論を学び、博士号を取得した。1950年代後半から、日米の第一級の学者を集めた研究会に主要メンバーとして何度も参加し、学者としてのネットワークを広げた。上智大学教授・国際関係研究所長などを務めた。

   国際機関の仕事をするようになったのは68年から。参議院議員だった市川房枝さんを通して外務省から頼まれたのがきっかけだ。国連公使、国際連合児童基金(UNICEF)執行理事会議長、国連人権委員会日本政府代表、国連難民高等弁務官、アフガニスタン支援政府特別代表などの大役を次々とこなした。近年、国際機関で働く日本女性が少しずつ増えているが、常にその目標となっていた。03年から12年まで国際協力機構理事長も務めた。

   99年に朝日賞特別賞。03年に文化勲章。そのほか米国、フランス、ドイツ、ロシア、インド、メキシコなど多数の国から様々な賞を受賞している。

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