政治家の万歳、手のひらは正面?内側? 歴代首相らのやり方を比べてみると...

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    安倍晋三首相の万歳三唱ポーズが注目を集めた。「即位礼正殿の儀」の際、ほぼ垂直に両手を挙げた時の手のひらが内側に向いた万歳を行ったのだ。

   この映像が流れると、ネット上で「正しい方法。さすが」と称賛を集める一方、「正しい」とする評価は「過去に冗談で作られた偽文書の影響を受けたものだ」と批判的な声も寄せられた。さらには、「偽文書は(評価と)関係ない」「そもそも正しい万歳の方法などない」と様々な見解が入り乱れている。

   「即位礼正殿の儀」の会場には歴代の首相経験者らも集まっており、万歳三唱に参加した。彼らはどういう万歳をしたのか、写真画像で確認してみた。さらには、安倍首相の過去の万歳場面や、前回・平成時に行われた「即位礼正殿の儀」における海部俊樹首相(当時)の万歳の様子も見比べた。

  • 「即位礼正殿の儀」で万歳三唱した安倍首相(首相官邸サイト・内閣広報室の動画より)
    「即位礼正殿の儀」で万歳三唱した安倍首相(首相官邸サイト・内閣広報室の動画より)
  • 「即位礼正殿の儀」で万歳三唱した安倍首相(首相官邸サイト・内閣広報室の動画より)

平成2年、当時の海部首相は「正面」

    2019年(令和元年)の10月22日に皇居・宮殿で「即位礼正殿の儀」が行われた。安倍首相は、祝いの言葉である「寿詞(よごと)」を読み上げたあと、万歳三唱を行った。参列者らも安倍首相の発声に合わせて万歳を繰り返した。

    当日の様子を撮影した報道写真(共同通信撮影、23日スポニチ・アネックス記事掲載)をみると、歴代首相のうち、麻生太郎・現副総理兼財務相や福田康夫氏は、手のひらを「内側」にしている。小泉純一郎氏は「正面」、森喜朗氏は「(正面と内側の)中間」だった。旧民主党政権時代の元首相、鳩山由紀夫氏は「ほぼ正面(やや中間)」。鳩山氏は、先の4元首相に比べ、挙げた際の両手のひらの間隔が広いのが目立つ。また、森氏については、別のタイミングの別写真(毎日新聞22日ウェブ版)では、「正面」になっていた。

    また、安倍首相の過去の万歳シーンはどうか。上皇陛下の譲位前に行われた19年2月24日の「天皇陛下御在位三十年記念式典」では、時事通信写真をみると「ほぼ中間」だった。手を挙げた際の両手のひらの距離は、今回の儀式の際よりもやや広めとなっている。自民党立党60年記念式典(15年11月29日)では、「ほぼ正面」だった(サンケイビズ掲載写真)。

    1990年(平成2年)11月12日に開かれた、前回の「即位礼正殿の儀」では、海部俊樹首相(当時)は、現在の上皇陛下を前に「正面」で万歳していた(共同通信撮影・配信)。

   昭和天皇が1952年5月3日に憲法記念式典で万歳する写真(朝日新聞の言論サイト「論座」2019年9月19日配信「『拝謁記』が投げかけた昭和天皇と田島道治の謎」)も確認したところ、右手にはシルクハットを持ち、左手のひらは正面に向けられていた。

    なお、万歳の際の写真は、手を「最上部までに挙げる途中」と「最上部」とでは、手のひらの向きが変わる可能性があるが、今回は「最上部」「ほぼ最上部」の際の写真を紹介した。また3回の万歳(三唱)で、手のひらの位置関係が3回全てで同一というわけではない可能性もあるが、単純に確認できた写真画像で判断した(一部は動画でも確認)。

政府答弁「公式に定められたものがあるとは承知していない」

    これまでの写真による確認では、かなりのバラつきが見受けられるが、今回の「即位礼正殿の儀」における安倍首相の万歳の仕方(手のひらの向きなど)は、公式に定められた方法だったのだろうか。政府の「天皇陛下のご退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会」(委員長・安倍首相)の事務方、皇位継承式典事務局(内閣府などで構成)に今回、10月24日に確認すると、「万歳三唱の際の万歳の手のひらの位置などに関しては、具体的な決定はなかった」との回答だった。

実際、政府見解としては「万歳三唱の所作については、公式に定められたものがあるとは承知していない」(2010年2月)という答弁が閣議決定されている。当時は民主党政権下で鳩山由紀夫氏が首相だった。質問主意書を提出したのは、自民党の木村太郎衆院議員(故人)。「天皇陛下御在位二十周年」に関連して、

「式典の結びに天皇陛下の御前にて、鳩山総理の御発声で万歳三唱をしたが、手のひらを天皇陛下側に向け、両腕も真っ直ぐに伸ばしておらず、いわゆる降参を意味するようなジェスチャーのように見られ、正式な万歳の作法とは違うように見受けられた。日本国の総理大臣として、万歳の仕方をしっかりと身につけておくべきと考えるが、その作法をご存知なかったのか、伺いたい」

と質している。木村氏が指摘した「正式な万歳の作法」については、後述の偽文書「太政官布告 万歳三唱令」(の付随文書)記載の内容と共通部分があり、影響を受けた可能性もある一方、偽文書が出回る(約30年前)以前から木村氏主張のロジックで歴代の先輩議員より(特に自民党内で)受け継がれていたとみられる状況もあり、実際に50年近く前の「衆院解散」時に手のひらを「内側」にする議員の姿も写真に納まっている。

   この「万歳三唱令」と今回の安倍首相の万歳三唱とを結びつけた記事を式典翌日の10月23日に報じたのは熊本日日新聞だ。見出しは「偽書『万歳三唱令』、安倍首相の所作で再注目」(ウェブ版)。同紙は18年2月、ネット上などで偽文書との指摘もありつつ、正しい文書だと信じる人もいた「万歳三唱令」や付随文書を創作したと名乗り出た熊本県内のグループ3人の証言を詳報したメディアだ。

ニセの「太政官布告 万歳三唱令」の正体

   文書内容の特徴である、万歳三唱の際に右足を半歩踏み出したり、両手を垂直に挙げ、両手のひらを内側に向けたりする動きは、熊日記事によると、1985年前後の酒席で冗談から生まれた完全な創作。文書の万歳三唱令は89年頃に原形が生まれ、最終的に「太政官布告 萬(万)歳三唱令」と「萬歳三唱実施に関する勅令」に整えられた。「勅令」では

   「(略)カツ両掌ヲ正シク内側ニ向ケテオクコトカ肝要ナリ」(漢字表記は現行のものに編集部が変更)などと表記している。

    熊日は初報以外に連載記事も載せており、メンバーらが転勤先などの飲み屋で文書のコピーを周囲に渡し、「普及」に努めた様子も紹介している。のち、99年12月には共同通信が、国立国会図書館に文書は本物なのか、といった問い合わせが相次ぎ、同館が「うっかり信じないで」と注意を呼びかけるという内容の記事を配信。メンバーらはこれを機に「普及」活動を停止したが、その後もネットなどを通して「信じる人」は相次いでいたようだ。

    今回の安倍首相の万歳は、手を「垂直」に挙げて手のひらは「内側」だったが、直立しており、「勅令」にある右足を半歩踏み出す行為は行っていない。果たして影響はあったのか、なかったのか。

1970年代の衆院解散時にも「内側で万歳」派

    上記「万歳三唱令」の原型が生まれた1989年や、動作が酒席で生まれた85年(前後)より前の衆院解散時に本会議場で撮影された「衆院議員の万歳」の様子をみると、一定数以上の「手のひら内側」派が確認できる。

    今から50年近く前となる72年11月13日の解散時の毎日新聞朝刊(14日付、東京本社版)1面では、4段弱の写真が載っており、拡大印刷して確認すると、「内側」派が少なくとも7、8人以上はいると見てよさそうだ。

    79年9月と83年11月の解散時の写真(朝日新聞1面、読売新聞2面)をみると、やはり数人以上の「内側」派が見受けられる。いずれの写真でも、ぱっと見た印象では「正面」派が多いようだが、不鮮明だったり撮影のタイミングの問題で手を挙げる途中の議員もいたりで、はっきりした人数は分からなかった。また、「内側」派であっても、「手を垂直」に挙げている議員は多くはなかった。

    一方、直近の2017年9月28日の衆院解散時の複数の写真をみると、自民党席を中心に(旧民進党などは欠席)「内側」派は少なからずおり、前記3枚の写真よりは割合は増えている印象だ。閣僚では、麻生財務相のほか小野寺五典・防衛相(当時)、鈴木俊一・東京オリパラ担当相(同)らが「内側」派だった。

    19年11月9日には、東京の皇居前広場などで「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」(主催:御即位奉祝委員会<会長・三村明夫日本商工会議所会頭>など)が行われる。奉祝委員会の事務局広報担当に、万歳三唱の際に手のひらの向きなどで推奨する方法はあるのか、とJ-CASTニュースが10月24日に質問すると、「ありません。それぞれの思いや、やり方で参加して頂ければ」と話していた。

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